ITコンサルティングサービスを主力事業とする株式会社ノースサンドは、設立3年半にして従業員数86名(2019年3月時点)、上場企業を含む多数の大手顧客を抱える注目のベンチャーである。世界最大級の意識調査機関Great Place to Workが実施する、日本における「働きがいのある会社」において、2年連続ベストカンパニーを受賞(2018・2019年度)。さらに、株式会社リンクアンドモチベーションが主催する「ベストモチベーションチームアワード2019」においても、経営管理部門での受賞を果たし、その圧倒的な組織力は高い評価を獲得している。注目すべきは、事業の目ざましい発展はもちろん、数あるコンサルティングファームのなかで同社が放つ異質な〝個性〟と〝存在感〟だ。今回は代表の前田氏に、彼自身の生い立ちから仕事観、会社経営に対するこだわりまで、深く迫ることができた。
創業4年目。大手企業を顧客基盤に、躍進を続ける注目企業。
弊社は「ITコンサルティング」をメインに、「ビジネスコンサルティング」「新規事業立ち上げ」の3つの事業フィールドを経営の柱としています。クライアントのビジョン実現に向け、現場密着型のサービスを提供していくのが我々のスタイルです。たとえば、企業様が基幹システムをリプレイスする際には、弊社コンサルタントが現場に常駐し、プロジェクトの進捗管理や課題管理を一手に担います。役員の方々と共に進めるミッションも多く、役員会向けの資料作成や発表なども大切な業務の一つです。おかげさまで創業当初から多くの大手企業様をクライアントに迎えることができ、着実な成長を遂げてまいりました。
将来の夢は社長になること?!未来を予言した小学校の卒業文集。
生まれは広島県広島市です。子どもの頃は毎日、外で元気に遊んでいました。小学生の頃から、わりとリーダー気質を持っていたと思います。友達と遊ぶときも、だいたい輪の中心にいました。たとえば、野球のチーム分けをするとき。同じチームになる仲間は、やっぱり自分で決めたいじゃないですか。だから、ゲームが楽しくなるように、いつも率先して仕切っていました。まるでジャイアンみたいな奴ですね(笑)
小学校の卒業文集には、「将来は社長になる」と書いたようです。おそらく「社長」という言葉を、正しく理解していたわけではないでしょう。その当時、ちょうど観ていたTVドラマの影響だったと思います。「シブがき隊」のモックン主演の、大手商社に勤めるエリートサラリーマンのストーリー(『君と出逢ってから』1996年 / TBS系列で放送)。スーツをビシっと着こなしているモックンに、子どもながらに強く憧れたのです。また、ホテルに勤めていた父の影響もありました。父も毎日スーツで決め、7:3のポマードヘアに、香水を欠かさないような人でした。それが当時の私にとって、「社長」を連想させるイメージだったのかもしれません。時が経ち、気づけば卒業文集に書いた夢は実現しました。実際に社長になった今、こんなにラフな格好をしていますけど(笑)
私には、2歳上の兄がいます。私と違って、183センチの長身です。身内から見てもなかなかのルックスで、中学時代にはファンクラブがあったほど、女の子からモテていました。そんな兄の存在は、私にとって自慢でもあり、同時に強い反骨心にも繋がっていました。私が中学・高校と卓球部に入ったのも、ファッションに興味を持ったのも、東京の大学に進学したのも、すべて兄の背中を追ってきたから。しかし一方で、何をやっても兄には敵いませんでした。たとえば、卓球。兄はインターハイ出場も果たし、地元では有名な強い選手でした。だから、私が兄と同じ強豪校の卓球部に入り、初めて大会に出場したときには、ライバル校の選手たちが続々と見物に来たものです。まず最初に、兄に比べて背が低いことに驚かれます。そして、早くも1セット目の前半には、「弟、たいしたことないな」と、露骨な反応をされるわけです(笑)学歴も、やはり兄のほうが上。最初の就職先も、東証一部上場企業の花形部署へ配属された兄に対し、私はやっと内定を獲得した事業会社のシステムエンジニア。思えば物心ついた頃からずっと、先を魅せ続けてくれる兄貴でした。兄の背中を追っていれば安心できたし、一方で「いつかは兄を超えたい!」という想いが原動力となり、これまで頑張って来られたのだと思います。今では追い越せたつもりでいますが…(笑)昔から仲が良く、お互い家庭を持った今も、家族ぐるみで会っています。私にとって兄は、永遠の良きライバルとして、互いに刺激し合える唯一無二の存在です。
派手な髪型と、バンド活動に没頭した学生時代。
中学・高校と卓球三昧の生活のなかでも、ファッションや遊びには敏感なほうだったので、暇さえあれば仲間と街へ出かけていました。大学が決まって上京すると、その熱は一気に爆発!とにかく目立ちたい一心で、真っ先に金髪にしました。さらに、ラーメンマンのような弁髪スタイルのエクステンションを付け、入学式に臨んだのです(笑)若気の至りとはいえ、まさに「おのぼりさん」の典型!今となっては恥ずかしい思い出です。
大学時代は勉強など一切せず、仲間とバンド活動に没頭しました。目立ちたがり屋なので、もちろん私がヴォーカルです(笑)毎週スタジオで練習したり、仲間を集めて渋谷でライブをしたり、かなり熱中していましたね。お酒を飲むときは、「メジャーデビューして有名になってやろうぜ!」と、皆で熱く語り合ったものです。当時の私が心酔したのは、海外のパンクミュージック。彼らの思想にインスパイアされたのはもちろん、人と違う音楽を聴いていることに、カッコ良さや優越感を求めていた部分もあったと思います。ちなみに当時、苦労したのがバイト探しでした。派手すぎる髪型のせいで、まったく面接に受からないんです(笑)可愛い女の子と出逢えるようなカフェで働きたかったのですが、現実には、金髪・ピアスの輩が集まるような、レゲエの流れる居酒屋で働く結果となりました。
就職活動は大苦戦!伸びしろだらけの社会人デビュー。
新卒で入社したのは、とある上場企業でした。コールセンターのシステム開発部門に配属され、エンジニアとしてキャリアをスタートします。入社理由は単純で、そこしか受からなかったから(笑)勉強もしていなかったし、考えも浅かったので当然の結果です。今、自分が学生を面接する立場になって、当時の自分の甘さを改めて実感しますね。
入社当初は、とにかく出来ないことだらけ。だからこそ、自分の成長を一つひとつ確認するたびに、やり甲斐や楽しさを感じていました。最初の会社で4年間お世話になった後、よりチャレンジングな環境を求めて外資系ソフトウェア企業に転職します。今度はITコンサルタントとしてプロジェクト先に常駐し、自社製品の導入をはじめ、技術的な知識が求められる立場へと環境が変わりました。入社当初は、技術・知識ともに豊富で、語学も堪能な先輩たちに圧倒されたものです。しかし、実際に仕事を始めてみると、新たに見えてきた本質がありました。それは、知識や技術の重要性はもちろん、それ以上に「人間力」が問われる場面が多いということ。なぜならプロジェクトとは、チームで動かすものだからです。どれほど高いスペックを備えていても、自分が周囲の協力体制を築けるような人間でなければ、思うような成果は手にできません。いざ現場に飛び込んだら、ゼロから人間関係を構築していく力が問われるのです。そんななか、「前田さんなら何とかしてくれる!」「あなたに是非お任せしたい!」と、お客様から確かな信頼を得られたときには、自分の生きる道がはっきり見えたように感じたものです。
国内大手コンサルティングファームへ転職。半年以内に組織のトップに!
33歳のとき、国内大手コンサルティングファームに転職しました。過去にプロジェクトの先々で、コンサルティングチームの姿を見てきたので、身近でイメージしやすい存在でした。彼らには、我々のような技術はありません。その代わり、プロジェクト全体を見渡し、成功へ導くという上位のミッションを担っていました。自分も次なるチャレンジとして、プロジェクト全体を統括するポジションに立ち、影響力と責任のより大きな仕事がしてみたい…。そんな想いが募った結果、新たな世界に飛び込んだのです。
転職当時、技術的な知識は備えていたものの、コンサルティングは未経験。まずは「社内」と「お客様」の双方から認めてもらうまで、とにかく必死でした。中途入社者が多い業界ということもあり、年齢なんて無関係の実力社会。入社した瞬間から、「お前に何ができるんだ?」…と、周囲からの品定めに遭うわけです。私が社内でとった行動は、とにかく低姿勢を貫くこと。たとえ5~6歳下の同僚でも、仕事のうえでは先輩です。ときには彼らに邪険に扱われたり、顎で使われたりしながら、とにかく謙虚に教わる立場を一貫しました。自分の小さなプライドなんて、守ったところで意味がない。いずれ実力を磨いた先で、彼らを追い越せばいいのだ…!そう思って、淡々と自己成長にコミットし続けた結果、半年以内に組織のトップを獲ることができたのです。
前田社長の仕事論。重要なのは、知識やスキルよりも「人間力」。
私には、ひとつの確信があります。仕事において望む成果を手にするには、知識やスキルよりも「人間力」を磨くことが、最も重要だということです。どんなに優秀な人でも、たった一人で実現できることなど何ひとつありません。結局のところ、周囲から好かれる人間でなければ、協力体制を築くことは不可能なのです。私はお客様の前で、徹底的に自分をさらけ出すことを仕事の流儀としてきました。むしろ相手から突っ込まれるくらいバカになる!いわゆるコンサルタントを連想させる、知的でスマートな人物像とは正反対の姿です(笑)たとえば以前にお客様先で、『坂本龍馬(さかもと・りょうま)』のことを、誤って〝りゅうま〟と読んでしまったことがありました。お客様は大喜びで、それ以降は私のことを〝りゅうま〟と呼ぶように…(笑)そんなことから距離が近づき、互いに本音をさらけ出せる関係が始まります。また、私はコンサルタントの立場ながら、お客様の飲み会には必ず呼ばれるような関係性を築いていました。お客様との強固な絆があったからこそ、プロジェクトの成果も最大化できたのだと思います。自分の手がけた現場が、社内屈指の大規模プロジェクトへと成長を遂げ、お客様から選ばれる存在になれたこと。そして、独立時に付いてきてくれる仲間に出逢えたこと。それらが何よりの実績といえるのではないでしょうか。
2015年。10名の仲間と共にノースサンドを設立。
あるとき外資系のお客様先で、いわゆる〝コンサル切り〟が実施された日がありました。コスト削減を目的に、本国からの指示に従わなければならない状況です。お客様先に深く入り込んでいた私は、具体的なコスト削減プランを共に計画しました。まずは私の存在自体が、コスト削減の最優先事項です(笑)だから、第一に自分のコンサルフィーをカットしつつ、自分が退いた後の課題解決の道筋まで、詳細にご案内したのです。その結果、お客様から一つのご提案をいただきました。今はコンサルタントとしては雇えないけれど、もしも前田さんが独立するのなら、今後の方策を考えます…と。それが独立のきっかけでした。信頼できる仲間10人が集まってくれ、ノースサンドは始動したのです。
コンサルティングファームといえば、個人主義的な文化が根強い業界です(評価も個人に帰属する部分が大きい)。一方で、私は独立する前から、一つの現場を中小企業に見立てて、組織的に運営するスタイルをとってきました。たとえば、私が統括のポジション(いわゆる中小企業の社長)を担い、各メンバーの役割分担を明確化します。一つの目的に向かって、チームで動いていくイメージです。私が手がけたプロジェクトと、他の現場との明らかな違いは、メンバー同士のコミュニケーションが活発で、非常に仲が良いことでした。仲間の誕生日を皆でお祝いする習慣も、大事にしてきた取り組みの一つです。チームの絆が深まれば、業務においても必ず好循環が生まれると考えているからです。独立した今も、大事にしていることは一切変わりません。超個人主義のギスギスした社風や、学歴依存の高飛車なコンサルタント集団には、絶対にしたくなかったので・・・。だからこそ、弊社では組織としての8つの行動指針を明確に掲げ、採用の時点から会社のカルチャーに共感してくれる人を歓迎しています。そもそもコンサルティングファームとしての事業内容に、他社と差別化できるような特徴などありません。どんな人が集まった組織なのか、それがすべてです。弊社には、人間的に豊かな人財が揃っているという自負があり、それが何よりの強みだと思っています。今後も一人ひとりが人間力を磨き続けてこそ、真のクライアント・ファーストを実現できると考えています。
地味に思える仕事にこそ、突き抜けるチャンスがある。
おかげさまで、会社は順調に成長しています。その要因について、何か特別な答えを期待されることが多いのですが、私が創業時から取り組んできたのは、本当に地道な作業だけです。たとえば、営業戦略や採用方針、組織のルールなど、会社の未来や社員のために必要だと思われる仕組みを一つひとつ創り上げ、実践と改善を淡々と繰り返してきました。この〝ひたすら繰り返す〟という地味な作業を継続しているから、結果的に会社が成長しているだけだと思っています。多くの人が怠けている部分があるとすれば、この「繰り返し」と「継続」ではないでしょうか。たとえば、コンサルタントの業務の一つに、役員会向けの資料作成があります。初めてチャレンジするときは、誰でも一生懸命に取り組むのですが、慣れてくると同じ作業を繰り返すことが退屈になり、途中で投げ出してしまう人が多いのです。これは本当にもったいないこと。一見すると単純な反復作業のなかに新たな発見は必ずあるし、続けるからこそ役員の方々との密なコミュニケーションがとれるのです。私自身は反復作業の継続ほど、ラクにチャンスを掴めるものはないと思っています。
コンサルティングファーム時代にトップを獲ったときも同様、私に特別な才能やスキルがあったわけではありません。日々の小さな努力に誰よりもこだわり、それを淡々と継続した先に、結果が付いてきただけです。たとえば、朝の時間の使い方。当時は毎朝、オフィス近くのカフェで1時間、その日の準備と読書をするのが習慣でした。そして、始業時刻の30分前には会社へ出勤。9時には既に一仕事を終え、皆が出勤してくる頃にはもう、次の仕事ができる状態を継続していました。たったそれだけのことで、始業と同時にバタバタと出勤してくる人とは、毎朝1.5時間の差が生まれます。微差は大差。時が経てば、その積み重ねは圧倒的な実力差に変わり、必ず評価として自分に返ってきます。学歴も経験の長さも、まったく関係ありません。目標に向かって、日々の真剣勝負を続けられるかどうか。自分を突き抜けた場所へと導いてくれる手段は、たったそれだけだと思っています。
世界をデザインする企業へ…。今期から、会社のビジョンを大きく書き替えました。弊社は今、同業他社を競合としてきたフェーズから、より大きな世界へ出ていくステージへの過渡期にあると思っています。デザインとは、「設計する」という意味です。コンサルティングファームである我々も、世界を設計していくような仕掛け人の集団へと、変革できると信じています。だからこそ、既存のコンサルティング事業の拡大はもちろん、今後は新規事業をどんどん成功させていきたい。ソフトバンクの孫さんが描くように、規模の追求はもちろん、300年と続くような企業基盤を築いていきたいと考えています。まだまだ課題は山積み。仲間と共に未来を信じて、臆せずチャレンジを続けていきます。
◆ 編集後記 ◆
まるでハワイのビーチサイドを思わせるような、明るくオープンなオフィス空間。一瞬にして、コンサルティングファームの取材へ訪れたこと、ここが銀座であることを忘れてしまうほど、私にとって意外な空間だった。日焼けした肌に、カジュアルな服装で登場した前田社長。取材前にWEBサイトでお写真を拝見していたが、イメージしていた人物像より、はるかに親しみやすい印象を受けた(笑)オープンなエントランス空間には、サーフボードや観葉植物に加え、なんとビールサーバーまで完備されている。聞けば、お客様先に常駐し、社内のコミュニケーションが希薄になりがちな社員のために、帰って来たくなるような空間を意図して創ったそうだ。さらに、ビールサーバーは、同社の新規事業の一つとして開発したIoT製品!この空間で月に一度、「ノースサンドパーティー」と呼ばれる交流会が社員により企画され、お客様も含めた70名ほどが集まって、食事やお酒を楽しむそうだ。人を大切にする組織にしたいと語る前田社長の想いが、確かに浸透しているようだ。
取材を通して、あくまで謙虚な前田社長。実績についてお伺いしても、いつも照れ隠しのような回答で、自分を大きく見せるような発言は一切ない。自分は地味で当たり前のことを誰よりも継続してきただけ。そう語る彼だが、そこに実は、並々ならぬ反骨心のようなものが感じ取れた。たとえ他人から悔しい扱いを受けたときも、その場で決して戦わない。持ち場に戻って淡々と実力をつけ、仕事の成果をもって見返すのが彼の流儀である。どんなに優秀な人材や会社も、軌道に乗ると成長が止まってしまうケースは多々あるが、前田社長が率いる同社に、そんな気配は微塵も感じられない。
取材には、創業メンバーかつ役員でもある佐々木氏にも同席いただいた。前田社長が独立を持ち掛けたとき、2秒で「YES!」と答えた逸材だったとか。最近は佐々木氏もサーフィンを始め、週末の海でも楽しい時間を共にしている。ちなみに前田社長の奥様は社内にいらっしゃり、彼がサーフィンを始めるきっかけをくれた女性だという。お子様が小さい今も、家族で毎年サーフトリップに出かけるそうだ。数あるコンサルティングファームのなかで、同社が異質に映る理由。それは、家族や兄弟、仲間など、内側の人間関係を非常に大切にする社風にある。そんなハートフルな空気が波紋のように外側まで拡がり、お客様にとっても唯一無二の存在になっているのだろう。
取材:四分一 武 / 文:アラミホ
メールマガジン配信日: 2019年5月20日