山梨県甲斐市に、注目すべき成長企業があると聞いた。株式会社フォーカス、事業内容はオリジナルプリントウェアの企画販売。直近5年間で約4倍の成長を実現しており、売上高は約40億円。同社のコーポレートサイトによると、新卒初任給はなんと月給42万円だという。社員紹介ページには、多国籍の若者たちの笑顔が目立ち、オフィスにはイスラム教徒向けの礼拝スペースもあるらしい。いったい山梨の地で、何が起こっているのだろうか。その真相を確かめるため、我々は甲斐市にあるフォーカス本社まで車を走らせた。本稿では、創業者の常松氏の半生を振り返りながら、国内外から優秀な若者を惹きつける地域のグローバル企業の秘密を紐解いていきたい。
集う価値に彩りを ~株式会社フォーカスの企業理念~
私たちは、オリジナルプリントウェア(Tシャツ、タオル、トートバッグなど)の販売・生産を行っています。個人や法人、規模の大小を問わず、“集う”目的を持つすべての人々が私たちのお客様です。たとえば、学校の文化祭や部活動、地域のお祭り、会社のイベント、推し活コミュニティなど、世の中には大小さまざまな人の集いがあります。それぞれのグループには想いや目的があり、メンバー同士が顔を合わせるイベントは、もしかすると一生に一度きりの大切な日かもしれません。私たちのビジネスは、そのような人の集いがあってこそ成り立つものです。コロナ禍を経た今、テクノロジーの進化と人々のマインドの変化により、非対面のコミュニケーションが一般化しました。一方で、わざわざ人が集うことの価値は、以前よりも増しているように感じます。もしもそこに、仲間同士の一体感が高まるようなデザインのアイテムを提供できたら……。私たちのミッションは、お客様の“集う価値”に着目し、その価値をより輝かせるような彩りを添えること。仲間と集う大切な日が、最高の思い出に変わることを願いながら、今日も心を込めてアイテムをお届けしています。
翌日出荷100%保証!デザイン作成0円!お客様の大切な日の成功を支えるために
私たちが運営するオリジナルグッズ製作サイト『CLAT-JAPAN(クラティージャパン)』は、翌日出荷100%保証、デザイン作成0円を宣言しています。商品の用途は、ユニフォーム、販売用、イベント、文化祭、記念品など多岐にわたり、ご注文は1枚から大量発注まで柔軟に対応しています。私たちが短納期にこだわる理由は、最も大切なデザインに悩む時間を、お客様に極限まで確保いただくため。一切の妥協がなく、心から納得できる仕上がりをお届けしたいと考えているのです。ご注文には、デザインの知識もスキルも必要ありません。お客様が描くイメージをデザイナーが丁寧にヒアリングし、理想のデザインが形になるまで、「修正回数無制限」でサポートいたします。このように、圧倒的なスピード×デザインに関する手厚いサポートが、私たちの最大の強みです。2025年度は、おかげさまで出荷件数10万件、出荷枚数260万枚を突破しました。お客様の大切な日の成功を支えるため、今後も果敢に成長を続けてまいります。
政治家の父、研究者の母のもとで育つ
生まれは東京・町田市です。小学生時代は多摩市に住んでいましたが、中学1年のときに父が衆議院議員選挙に立候補することになり、選挙区内の国分寺に引っ越しました。母は大学で化学を教える研究者。兄と私の2人兄弟でした。
常松家の、ちょっと変わった教育方針
中学卒業までに『資本論』を読め―― 父にはそう言われて育ちました。父は東大経済学部卒、当時の日本社会党の所属議員でした。実家は壁じゅう、経済学や科学、図鑑などの書籍でいっぱい。物心ついた頃から、大量の本に囲まれていました。寝る前によく、父が読み聞かせをしてくれたことを覚えています。しかし、幼い子どもを寝かしつけるには本選びが独特で……あるときには、法隆寺の建築技術に関する説明を聞きながら眠りについた夜もありました(笑)。一方で母も、珍しく漫画を買ってくれたと思えば、それが冒険小説『少年ケニヤ(山川 惣治/著)』だったり(笑)。いま思えば、なかなか特殊な環境下で育ったようです。ちなみに父に言われた通り『資本論』は読みましたが、中学生の私にはまったく理解できませんでした。
知的に恵まれた環境とは裏腹に、家庭の経済状況は厳しかった
私は裕福な家の育ちではありません。むしろ同級生のなかで、いちばん貧しかったと思います。父の選挙活動には多額の費用がかかり、家計は常に余裕がなかったのです。たとえ欲しい物があっても、親には言い出せませんでした。中学生の頃には自分のお年玉で服を買っていましたし、部活で使うバスケットシューズも先輩のお下がりでした。ボロボロの靴を履き続ける理由を友達に聞かれても、「買うお金がない」とは言いにくい年頃です。「先輩のバッシュが一番しっくりくるんだ」……当時の私には、そう答えるのが精一杯でした。
家にゲームがなかった代わりに、テスト勉強をエンタメに!?
子ども時代の遊びといえば、地図や図鑑を眺めるか、野球をすることくらい。友達の家とは違って、うちにはゲームもありませんでした。自宅に遊ぶモノがない代わりに、私が楽しみを見出していたもの――それが、学校のテスト勉強でした。当時は勉強というより、皆がファミコンに熱中するのに近い感覚だったと思います。たとえば、何回連続で100点を取れるか?ただ闇雲に教科書を読むのではなく、まるでゲームを攻略するかのように、テストの得点に繋がる学習方法を自分なりに研究していました。それもあって、両親から勉強を強いられたことは一切ありませんでした。私の通知表を見たことさえなかったように思います。中学生の頃には、通知表の保護者コメント欄は、筆致を変えて自分で書いていましたから(笑)。各々の仕事や研究に熱心な両親のもとで育ったので、自ずと勉強が好きになったのかもしれません。高校受験は有名私大の付属高校に受かったものの、授業料免除の特待生枠には入れず、都立武蔵高校に進学しました。
『スクール☆ウォーズ』に感化され、武蔵高校ラグビー部へ
当時の武蔵高校はラグビー強豪校。私が入部する数年前には、東京都代表として花園出場枠を懸けた決勝戦にも進出していました。OBには早稲田ラグビー部の先輩方もいて、指導を受ける機会にも恵まれていた環境だったと思います。ただし、練習時間は極端に短かった!毎日の練習は、放課後わずか1時間ほど。……というのも、定時制の授業が始まるまでにはグラウンドから引き上げる必要がありました。そうなると、走り込みやパス練を丹念に行う時間はありません。短時間で、いかに“勝つため”の練習に特化できるか。ラグビーにおける勝利の本質は、相手の陣地を奪うこと(=相手に陣地を与えないこと)にあります。そのためには、将棋と同じく先々の一手までを見通す思考の深さが肝になるのです。その点で僕らのチームは、進学校だけに記憶力に長けたメンバーが多く、実戦では有利に働きました。何十種類ものサインを駆使して、相手チームを攪乱するのです。ちなみに私の引退試合は、都内ベスト8。専修大付属高校に1点差で敗れ、惜しくも関東大会出場を逃したのでした。
マーケティングの原点は、高校時代の恋愛にあった
思春期ですから、部活以外は女の子のことで頭がいっぱいでした(笑)。どうしたら好きな子と付き合えるのか?私が生まれながらのイケメンなら、苦労は要らなかったでしょう。しかし現実は違いますから、“モテ”を徹底的に研究したのです。当時の私が試行錯誤の末にようやく心得た実践知は、実はビジネスにも通用することを、だいぶ後になってから知りました。というのも、後にマーケティング理論に関する本を読んだとき、思わず驚いたのです。これって、すべて恋愛じゃん!……と。「顧客理解」「差別化」「ブルーオーシャン戦略」など、もっともらしい名前で紹介されている概念は、すべて私が高校時代に実践済みの内容でした。恋愛こそ、マーケティングの原点だったのです。
常松流、マーケティングの極意I ~すべては相手を知ることから~
恋愛もビジネスも、相手に対する「想像力」が重要だと思っています。そのためには、アプローチ前の段階で、どれだけ相手を知ることができるか。情報収集力や観察力が、すべての出発点になるのです。恋愛なら、相手の興味関心(好き嫌い)、何歳差の兄弟がいて、どこの学校に通っているのかなど、知り得る限りの情報を集めておきます。ここで重要なのは、くれぐれも相手にバレないように行うこと!陰でリサーチされていると知ったら、普通に怖いですから(笑)。たとえば高校生だと、音楽の趣味が合うことが、恋愛において一つの重要なポイントになりますよね。そこで試されるのが、自分の好みを相手に合わせて変えられるかどうか。ちなみに私は、自分で編集したカセットテープに、その子が好きな曲を必ず織り交ぜていました。すべての曲を相手の好みに寄せてはダメ。それではあまりにも芸がありません。一緒にテープを聴いたとき、互いの共通点がふと感じられるような一曲を、あくまでさり気なく忍ばせておく。「私、常松くんと気が合うかも?」……そう思ってもらえるような体験を、時間をかけて重ねていくのです。もともとモテる男なら、最初から自分の我を通せば良いでしょう。一方で、私が好きな子を振り向かせるには、自分のつまらぬ趣味嗜好など、横に置いておくしかないのです。ビジネスなら、たとえ商品に知名度がなくても、目の前の一人に購入の意思決定をしてもらう必要があります。そのためには、いかに相手を喜ばせることに意識を向けられるか。的確な想像力を働かせるためにも、まずは相手を知ることが重要なのです。
常松流、マーケティングの極意Ⅱ ~フラれてからが勝負の始まり~
これまで多くの失敗を経験しましたが、恋愛だって一度フラれてからが本当の勝負です。ビジネスにも、きっと通じる部分があるでしょう。ちなみに高校時代、一度はフラれた女の子と、後にお付き合いができたという成功体験が数回ありました(ええ、自慢です)。当時の私が意識していたのは、いわゆる“差別化戦略”でした。まずは好意を伝えなければ、そもそも相手の視界に入ることさえできません。そのうえで、他の男にはない価値を、いかに感じてもらえるか。先ほど述べたように、相手のコアの部分に響くような会話や共感体験を、じっくり重ねていくのです。いま思えば、闘わずして勝つために、イケメン不在のブルーオーシャンに持ち込もうとしていたんですね(笑)。
また、物事がうまくいかないとき、責任の矢印をどこに向けるのか。失敗の原因は自分にあると捉えるほうが、建設的なスタンスだと思っています。恋愛なら相手を、ビジネスならマーケットを理解せずに行動した自分にこそ敗因があります。そう捉えることができれば、あとは誤りを正すだけ。女の子がデートを楽しんでくれなかったら、自分が相手のツボを外していたか、伝え方や段取りが甘かったのです。同様に、ECビジネスを行う我々のような事業者が、目まぐるしく変わるGoogleやAIの仕様に文句を言ったところで状況が好転することはありません。自社のサイトがオンライン上で競争力を持てるよう、常に最適化の努力を払いつづけるしかないのです。ちなみにオフラインの土俵なら、私たちが同業他社に負ける点は一つもないと思っています。自社工場への設備投資、採用・育成といった人への投資は惜しまず行ってきましたし、顧客視点をとことん追求してきた自負があるので。昨今は、リアルの強みを持つ企業にとって、有利な時代になったと思います。もともと持っているリソースにAI活用が伴えば、圧倒的な差別化に繋がるからです。
大学受験でやらかした、まさかの大失敗
家庭の経済状況から、大学進学の選択肢は都内の国公立に限られていました。そのなかで、私は東京学芸大学教育学部を受験しています。実家から通える距離にあり、偏差値的にも合格安全圏でした。センター試験では得意の社会科で満点を取り、無事に合格点に達していました。ところが受験要項を改めて確認すると、私が選択した現代社会は、なんと学芸大の指定科目の対象外だったのです!結果的に社会科の得点が0点となり不合格に。このときばかりは、さすがの母親も呆れていました。さらに当時の私ときたら、母に対して迂闊な発言をしてしまったのです。「本当は東北大学に行きたいんだ」……失敗を責められたことへの言い逃れとして、ふと口にしてしまった心にもない嘘でした。東北大学出身の母を、うっかり喜ばせてしまったのです。
浪人生活から逃れ、アルバイト先の正社員になる
実はその後、バイト先の警備会社に就職しています。母に嘘をついたことへの罪悪感と、東北大受験を撤回するための言い訳を考えるのと……なんだか面倒になってきたのです。そもそも予備校に通って勉強すること自体、まったく性に合いませんでした。「社員になるなら車の免許を取らせてやる」……ちょうどその頃、警備会社から魅力的なオファーがありまして(笑)。当時の私は社内の先輩から非常に可愛がっていただき、警備業務をたいして経験しないうちに、管制室の業務を任されていました。バイトでさえ、見える世界が広がること、自らお金を稼げることが楽しかったのです。結果的に勉強に身が入らず、浪人生活からフェードアウト。半ば逃げるような形で、就職の道を選んだのでした。
縁もゆかりもなかった山梨県との出逢い
あるとき会社から、警備に関する資格取得を促されました。都内の講習に空きがなく、たまたま山梨県で受講したこと。それが、私の運命を大きく変える結果になりました。このとき1週間の受講期間中に出逢ったのが、後に婚約者となる女性だったのです。20歳、東京に戻った後も続いた遠距離恋愛が、実は山梨県とのご縁の始まりでした(笑)。
国会議員秘書時代に学んだマクロの視点
その後は警備会社を辞め、当時の国会議員だった父の事務所を手伝いました。いわゆる議員秘書ですが、その実態は父の身の回りの世話をする雑用係です。朝から晩まで働き詰めで、時給に換算したら200円程度だったと思います(笑)。とはいえ、いま振り返ると実に貴重な経験でした。マクロの視点で経済を見ることの重要性を、起業後により強く実感するようになったからです。幸運にも、経済学部出身の父を持ったこと、究極のマクロと言える国会活動に関わったことで、経済の動向や人口の推移が、自分たちのビジネスや日常生活にどのような影響をもたらすのかを、常に意識するようになりました。1993年、衆院選で父が落選すると、私も同時に無職になりました。そこで山梨へ移住し、しばらくは婚約者の女性の実家の家業を手伝って過ごしました。
20代、一貫性のないキャリアの先に得られたもの
当時の婚約者とは結局お別れしています。それを機に、東京での選挙関係の仕事に多数お声がけをいただいたのですが、私は山梨に残る選択をしました。それからは、2t・4tトラックを運転して、観光地にお土産品を配送する仕事をしたり、求人広告会社に勤めたり。思えば20代のうちに、私は国会議員の世界から地域密着の現場仕事、中小企業のホワイトカラー職にわたるまで、社会のさまざまな階層の人々と仕事をしてきました。この経験を通じて、それぞれの立場にいる人々の志向性や行動原理の違いを、リアルに知ることができたのです。これは後に私が会社経営をするうえで、大いに役立ちました。社員の価値観や原動力を理解し、どうすれば力を発揮できるのかを考えること。お客様もまた、異なる背景や目的を持っていることを前提にサービスを設計すること。20代で多様な現場に飛び込んだことで、机上の理論ではなく、自分の肌感覚を通して人に対する想像力を培うことができました。大学受験に失敗し、高校の同級生のなかで唯一最終学歴が高卒となった私ですが、人生に無駄な経験は一つもなかったと感じています。
起業の基礎を築いた30代、社長直下で営業の道を歩む
1998年、山梨県甲府市に本社のあるアスフィール株式会社に入社しました。今では従業員数50名超の企業ですが、当初は社長と私の2人だけ。山本社長は家業を継ぐためにリクルートを退職し、地元に戻られていました。長らく個人事業主として印章類の小売業を営んできた創業家が、5年前に法人化。私が入ったのは、学校向けの卒業記念品事業を始めて間もない時期でした。会社の体制も未整備、事業は社長と二人三脚です。リクルート出身の厳しい人ですから、未熟者の私は怒られてばかりでした。社長からは何度「辞めろ」と言われたことか……とはいえ、辞められたら本当は困るくせにと、内心では思っていました(笑)。そんな冗談はさておき、今の私があるのは、山本社長のもとで鍛えていただいたおかげです。営業活動を通じて学校市場を学ぶ機会はもちろん、報酬もたっぷり頂いていました。2009年、私は約11年間お世話になった同社を退職し、独立しています。当時はちょうど、再婚した妻との間に娘が生まれるタイミング。安定収入をいきなり捨てたわけですから、当時の妻は気が気ではなかったと思います(笑)。
起業後まもなく、プリントTシャツ事業の価値に目覚める
当初は学校市場向けのグッズを幅広く手がけていたものの、創業4年目にはオリジナルTシャツの製作・販売事業に専念する決断をしました。きっかけは、お客様の反応をダイレクトに得られる世界を知ってしまったこと。あるときイベント用のTシャツを納品した学校から、生徒たち一人ひとりの名前が書かれた感謝の色紙が届いたのです!BtoBの仕事をしてきた私にとって、これは初めての経験でした。「商品を発注する人=実際に使う人」へと構図が変わっただけで、仕事のやりがいが劇的に増したのです。
成長の鍵は“For Customer”の精神にあった
創業6年目には、売上が10億円を突破しました。印刷とアパレル、いずれの業界知識も経験もなかった私が、プリントTシャツ事業を伸ばすことができた理由。それはむしろ、私が素人だったからかもしれません。先入観や常識にとらわれることなく、顧客視点に立つことができたのです。とにかく重視していたのは、Tシャツを注文されるお客様の想いや不安を、高い解像度で想像すること。多くの人は“デザイン”と言われても、何をどう伝えるべきか見当もつかないものです。私がお客様にお尋ねしたのは、「そのTシャツを、いつ着るのか」という一点だけ。それさえ明確なら、あとは手書きのイラストだろうがテキストだろうが、お客様がデザインを依頼する方法に、何ひとつ制約を設けなかったのです。また、たとえば学祭用のTシャツの色選びで、なんとなく「白」を選んでしまう女子高生には、「透けるからやめたほうがいいよ」と伝えていました。なかには無邪気にディズニーキャラクターの絵を描いたり、アイドルの画像を無断で使用したり……そんなお客様も少なからずいらっしゃいました。ご希望を叶えてあげたい気持ちは山々ですが、後に思わぬ問題を抱えることになるのは、お客様ご本人なのです。楽しかったはずの思い出が、そんなことで台無しになるのは、私としても本意ではありません。だから心苦しくても丁寧にご説明し、お断りをしていました。いずれも当たり前のことをやっただけですが、そこまで真摯にお客様に向き合う事業者は、意外と少なかったようです。私たちの社名の由来は“For Customer=Forcus(フォーカス)”。特別なことをしたわけではなく、あくまで“お客様のために”という理念に基づいて行動したこと。それが結果的にお客様の信頼に繋がり、会社が成長できた理由ではないかと思います。
売上激減、退職者続出に見舞われたコロナ禍。「ほぼ倒産」からのV字回復
2020年、未曽有のコロナ禍の影響で、世間のイベントが軒並み中止となりました。不要不急の外出自粛が叫ばれるなか、プリントTシャツの需要は激減。一時は売上が9割減にまで落ち込みました。そこに追い打ちをかけるかのように、約1年半の間に当時の全社員(約40名)に相当する人数の退職が相次ぎ、瞬く間に経営危機に陥ったのです。しかし、このとき行った経営判断が、ギリギリのところで会社を救う結果になりました。中小事業者向けの融資制度を活用して調達した3億円を、思い切って自社プリント工場への設備投資と、社員の平均年収を100万円引き上げることに使ったのです。結果的に退職者数に歯止めがかかり、2021年の売上高は目標の1.5倍超を達成。早期の業績回復を果たすことができました。危機下における逆張り投資が成功したと言えば聞こえが良いですが、それはあくまで結果論。当時はもう、ほぼ倒産しているような状態でした。苦しい局面でも会社を支えてくれた社員やお客様、家族や友人、そして経営危機を救ってくれた国の融資制度には、今でも心から感謝しています。
日本発のビジネスモデルを、世界へ
圧倒的なスピード×デザインに関する手厚いサポートで、人々にオリジナルプリントウェアをお届けする――このシンプルなアイデアを、実際のビジネスとして形にしている企業は、実は世界を見渡しても私たちだけ。あるとき私は、この市場にグローバルな大企業が存在せず、実はブルーオーシャンが広がっていることに気づいてしまったのです。日本発、唯一無二のこのビジネスモデルを、ぜひとも世界に問うてみたい。そこで2025年、創業以来初の海外展開を始動しました。今回ご縁をいただいたのは、南半球に位置する国、オーストラリアです。日本と真逆の季節特性を活かし、年間を通じた収益の平準化を狙った販売戦略で、会社の安定的な成長を目指します。海外進出は、我々の人材育成や採用戦略の観点からも大きな意味を持つ取り組みです。2023年から新卒採用を本格的に開始し、若手社員が活躍できる体制を整えてきました。このたびの海外展開も、入社2~3年目の若手メンバーが中心となって推進しており、最前線でグローバル市場に挑戦できるフィールドが、社内に着々と広がっています。
山梨県を、オリジナルプリントウェア市場における世界のハブにしたい
2026年4月、私たちは16名の仲間を新たに迎えました。そのうち9名が外国籍。中国、ウズベキスタン、マダガスカル出身の、国際色豊かな若者たちです。彼らのなかには、シンガポール国立大学、京都大学大学院、クイーンズランド大学など、出身国を離れて学位を取得した者や、イギリス、マレーシアでの生活経験を持つ者もいます。その多くが、日本語能力試験(JLPT)において、最高レベルの「N1」を取得しているのです。あらゆる選択肢を持つ優秀な若者たちが、わざわざ日本の山梨県にある当社を選んでくれた理由。それは、新卒初任給42万円という待遇面に惹かれた部分は当然あるとは思いますが、「単にTシャツを売るのではなく、人々の大切な思い出を支える」という理念に強く共感してくれたことも大きいのです。私たちは、オーストラリアでの事業展開に続き、さらなる海外進出も視野に入れています。そのためにも、国際的なバックグラウンドを持つメンバーを迎えることは、重要なステップだと捉えています。オリジナルプリントウェア市場において、ゆくゆくは世界を代表する企業になりたい。この山梨県で、それが実現したら面白いですよね。世界展開を推進するには資金調達が必要ですし、国内外から優秀な人材を集めるためにも、将来的には上場を視野に入れています。日本発のビジネスモデルを、世界へ。これからの私たちの成長に、ぜひご期待ください。
◆ 編集後記 ◆
筆者が感じたこの企業の魅力は、なんと言ってもその“エモさ”にある。取り扱う商材が「クラT(クラスTシャツ)」である時点で、そもそもエモいのだ。多くの人は、過去に経験したことだろう。部活やサークルの場で、新たなユニフォームやTシャツが届いたときの高揚感を。仲間で輪になり、最初の1着を箱から取り出した瞬間、思わず全員が笑顔になり、場が華やぐのだ。常松社長の発言で、とても印象的な言葉があった。――「僕らの対応次第では、最高の思い出になるはずだったお客様の一日を、無意識のうちに踏みにじってしまうリスクがある。もしもお客様にとって望まぬ結果になり、それに気づいてしまったら……僕らも立ち直れないほどに傷つくんです」……これは、二度と巻き戻せないお客様の時間(=人生)に真摯に向き合ってきたからこそ生じる感覚だと思う。注文ロットやグループの大小は関係ない。それぞれのコミュニティの価値に優劣はなく、当事者にとっての“集い”の機会は、唯一無二の大切な人生の1ページなのだ。
初任給42万円!これは、けっして見逃すことのできないバズワードである。ちなみにこの金額は、大手も含めた日本企業の初任給ランキングにおいて、第7位に君臨しているようだ。それだけ同社が高収益企業であることの証とも言えるだろう。とはいえ、高い報酬を手にするからには、当然ながら相当の成果が求められる。では、高い成果とは具体的に何を意味するのだろうか?同社では、入社時の最初の研修で、会社の財務諸表(B/S・P/L・CF)の読み方を、社員全員が学ぶそうだ。確かに会社の数字を知らなければ、自分が何をもって会社に貢献し得るのかは見えてこない。さらに驚くべきことに、社長も含めて役員・社員全員の報酬額が、社内でフルオープンにされているのだ。この緊張感が、日々の仕事に対する集中力や効率化への意識を高め、会社の成長を促しているのだろう。
山梨県に、こんなに面白い企業があったなんて!若いうちから成長企業に身を置くことは、自己成長のスピードを速め、その後の長いキャリアにおいて大きなアドバンテージとなる。しかも、都会よりも圧倒的に生活コストの低い山梨県で、都会よりも高い報酬が得られるのだ。なんとも夢がある。このような働き方の選択肢があったことに、新鮮な驚きを覚えた。組織が拡大し、やや手狭になったオフィスで忙しく働く若者たちの活発な空気に触れ、大いに刺激をいただいた。同社の今後の発展が非常に楽しみである。
取材:四分一 武 / 文:アラミホ
メールマガジン配信日: 2026年8月31日




