インターネットで気軽に買い物ができるEコマースは、近年ますます大きく成長している。Amazonをはじめとする大手各社が国ごとに別々のプラットフォームを展開する中、ひとつのプラットフォームで世界中に商品を販売できる新しい市場をつくることを目指し、昨年9月に設立されたばかりの会社が今回訪問した株式会社cartだ。CEOを務める橋本氏は、社長として株式会社イデアインターナショナルを上場に導いた経歴を持つ。いま新しいビジネスのスタートラインに立つ橋本氏にお話をうかがった。

株式会社cart 代表取締役CEO 橋本 雅治さん世界中のブランドが集まるオーガニック専門店「ナチュラカート」

株式会社cartはEコマース事業の柱のひとつとして、ナチュラル&オーガニックを掲げている。世界大手のAmazon が量販店として様々なカテゴリの商品を扱う一方で、株式会社cartは専門店を目指す。オーガニックライフスタイルを楽しめる「ナチュラカート」は日本未発売の海外の商品を幅広く揃えているだけでなく、オーガニックに関する最新トレンド情報も発信する。欧米各国では日本以上にオーガニックへの関心は高まっており、様々な商品が登場している中で、日本では取り扱ってない商品が多い。「ナチュラカート」ではこうした魅力ある世界中のオーガニックアイテムを、日本にいながら気軽にネットショッピングできる。

「ナチュラカート」では、世界各国のオーガニックブランド約1,000社から集めた4万点もの商品が販売されている。橋本氏は語る。「ナチュラル&オーガニックブランドは他の分野と違い、商品はもちろんのこと、売り方へのこだわりが強い傾向にあるんです。いろいろなジャンルの商品にまざって雑多に売られたくない、品質を理解する人に買ってもらいたいなどです。ブランドが持つこうしたこだわりを大切にしながら、よい商品をより多くの消費者に知ってもらい、販売につなげる社外のEコマース部門としてナチュラカートをブランドが活用している側面もあるんですよ」

両親と食卓を囲むことが少なかった学生時代

1961年、大分県で生まれた橋本氏は、スーパーマーケットやレストラン、ホテルや結婚式場といった様々な事業を展開する両親のもとで育った。多忙な両親は家にいることが少なく、いつも祖母と兄弟だけの食卓だったという。「父が事業の資金繰りを担当する一方で、母は元旦を除く364日働きづめでした。結婚式では司会、ホテルの宴会場では女将。あんなに働く人間をみたことはこれまで1度もありません」と橋本氏は当時を振り返る。

「放任主義の両親のもとで自由に育ちました」と苦笑いする橋本氏は、慶応大学へ進んだ。たまたま勧誘されたパワーリフティング部とバイトに明け暮れる日々だったという。「部には身体を鍛える道具が揃っていたので、スポーツジムにいかなくてもいいんじゃないかと思って入部しました(笑) 当時は体重60kgでベンチプレス100kg、スクワット175kg、デッドリフト190kgを挙げていました。いまはこの頃の半分くらいになってしまいましたね」。その後、橋本氏は全日本学生チャンピオンに輝いた。

支社長から誘われて受けた面接にも関わらず、入社を辞退

大学を卒業した橋本氏は、趣味の旅行に携わる仕事を希望していたが、母が女将として接客したキヤノンマーケティング福岡支社長の誘いで面接を受けることになった。母の顔を立てて博多の面接会場を訪れた橋本氏だったが、旅行業界を希望している旨を伝え辞退した。ところがその後、日本初の週休2日制導入など、旅行業界よりもキヤノンの待遇が断然よいことを知り、再び面接を受けたという。「旅行業界の人から『旅行が嫌いになるからやめとけ』『キヤノンのほうが絶対にいい』と強く言われたんです(笑) なんとなく実家の事業を継ぐような気がしていたので、キヤノンなら営業を学べるよい機会とも思ったんです」と橋本氏は苦笑する。

キヤノンに採用された橋本氏は、当時は珍しくなかった軍隊式営業の洗礼を浴びた。1日100件顧客を回れ、足で稼げ。そうした手法に疑問を感じた橋本氏は、同僚や上司に白い目で見られながらも、自身が効率的と感じるデータベース営業に取り組んだ。「やみくもに数をこなすより、少ない見込み客であっても、集中的に営業したほうがよい結果になると気づいたんです。会社の席にいる時間が多いので、当時の上司からはお前なにやってるんだ、外に営業に行けといつも叱られていましたよ(笑)」と語る橋本氏。その予想は見事的中し、4か月後にはトップセールスの座をつかんだという。

傾いた家業を継ぎ、債務整理に奔走した4年間

キヤノンに4年勤めた後、橋本氏は実家の事業を継ぐことになった。「ある日父から電話があり、印鑑をもってこいと言うんです。嫌な予感がしました。実家に戻るとそこには銀行の人がいて、父の会社の1000万円の融資を受けるために父の会社の負債2億数千万円の保証人になれと詰め寄られました。この頃、会社は傾いていて兄弟はみな債務の連帯保証人になっていたんです。私がここで印鑑をつかないと融資が受けられず、手形が不渡りになり倒産です。猶予は1日しかありませんでした。その場で保証人になり、会社を継ぐことを決めました」

橋本氏が会社を引き継いだ翌年には売上が3割増えたものの、経営は一向によくならない。経営者として内情を調べると、母も知らなかった会社の債務が判明した。持ち直すのは不可能と判断した橋本氏は、民事再生に踏み切り債務整理に奔走した。4億だった借金を2億まで減らした頃、地元の企業に会社の売却が決まった。「家業に携わっていたのもキヤノンと同じ4年でした。会社は売却できましたが、私には2000万円の借金が残りました。それを返すためにまた東京に戻ることにしたんです」

株式会社cart 代表取締役CEO 橋本 雅治さん思いがけない社内クーデターが勃発!
念願だったサラリーマンを辞めて起業へ

大分から東京に戻った橋本氏は、初任給1000万円という条件に惹かれ、マルマンに入社した。所属は社長直属の経営企画室。外部の優秀な人材を将来の幹部候補にするための採用だった。ところが橋本氏は現場を知りたいとの想いから人事に直談判し、横浜支社の一営業マンというポジションを手に入れた。幹部候補生という立場は周囲に隠し、平社員としてのスタートを切った。「この現場経験のおかげで、そこで培った人脈から得た情報を、社長に伝えられるようになりました」と橋本氏は語る。

リストラ計画の責任者や取締役時計事業部長などを経た1995年、社内クーデターにより入社のきっかけとなったマルマンの片山社長が退任することになり、橋本氏も退社を決意。マルマンでの部下と一緒に、株式会社イデアインターナショナルを設立した。

グローバルなEコマースのはしりとなる存在を目指すcart

株式会社イデアインターナショナルの代表取締役として20年が経とうとするタイミングで、現在の事業「cart」の構想が浮かび、2014年に株式会社イデアインターナショナル代表を退任し、2016年、橋本氏は現在の株式会社cartを立ち上げた。オーガニックに続き、今年12月には中国市場に高品質な日本のものづくり「メイドインジャパン」を提供するプラットフォームをリリースする予定だ。橋本氏は最後にこう締めくくる。「Eコマースはネットだけで完結するわけではなく、物流や現地のディストリビューターとの関係など、リアルのノウハウも幅広く求められます。イデアの経験を活かせるcartの強みは、ITとリアル、どちらにも通じていることだと考えています。世界中に売ることができる、グローバルなEコマースのはしりになる存在を目指しています」。国境が消えたEコマースの世界で、日本発のプラットフォームが新しい市場を開拓していく雄姿を期待したい。

取材: 四分一 武 / 文: ぱうだー

メールマガジン配信日: 2017年12月18日