ランスタッドは、オランダに本社を構える世界最大の総合人材サービス企業である。創業から60年を超え、現在では世界38の国と地域に4,700以上の拠点を有する。2021年7月、その日本法人であるランスタッド・ジャパンの代表取締役会長兼CEOに、カナダ人のポール・デュプイ氏が就任した。彼はインド事業を再建した実績を評価され、日本市場の深耕を任せられた人物である。同氏にとって日本は「第2の故郷」だという。1990年に初めて来日してから、今では流暢な大阪弁で日本語を操る非常にチャーミングな人物である。本稿では、ランスタッドの事業についてはもちろん、デュプイ氏の生い立ちや来日のきっかけ、これまでのキャリア、独自のリーダーシップ論にわたるまで、幅広くお伝えしていきたいと思う。

創業62年。総合人材サービスのグローバルリーダーとして。

ランスタッド株式会社 代表取締役会長兼CEO Paul Dupuisさんランスタッドは、総合人材サービスのグローバルカンパニーです。私たちは「human forward.」のブランドプロミスのもと、最新のテクノロジーと人々への情熱を通して、働く人と企業の双方が真の力を発揮できるようサポートしています。人材派遣をはじめ、人材紹介、インハウスやプロフェッショナルサービス、RPO、MSPを含む人事ソリューションやITサービスなど、多岐にわたるサービスを提供しています。現在、世界38の国と地域に4,700以上の拠点を展開しており、約半数の地域にてトップ3以上の地位を確立しています。従業員数は39,530名(2021年12月末時点)、売上高は246億3,500万ユーロに上ります(2021年度実績)。設立は1960年、オランダのディーメンに本社を構え、NYSEユーロネクスト・アムステルダムに上場しています。

私たちの強みは、創業時からのコアバリューである「To know, to serve, and to trust」を掲げ、真摯に取り組み続けていることにあります。我々の仕事はピープルビジネスです。転職を考えている方、派遣社員として働きたい方を企業に紹介して終わりではなく、そこからが始まりだと考えています。一人ひとりの人生や成長に伴走していくこと。それは企業規模が大きくなった今でも変わらない私たちの哲学です。

日本は私たちにとって、米国と共に優先的に投資すべき重要市場です。企業の採用ニーズが高まる一方、少子高齢化の影響もあり、求職者が不足しているという課題があります。多くの企業から、求めるレベルのスキルを持つ人材が足りないという声が日々聞こえてきます。日本は今後、海外人材の受け入れを加速させるかどうかの岐路を迎えることになるでしょう。特にエンジニアの不足は深刻です。現在、日本とインドの政府間の協議で、20万人のインド人エンジニアを受け入れるための取り組みが進んでいます。私たちは、彼らが日本で働くための生活環境の整備から支援しています。これは日本の大手にはない、グローバル企業である我々の強みです。

故郷でアイスホッケーに夢中になった、幼い頃の記憶。

ランスタッド株式会社 代表取締役会長兼CEO Paul Dupuisさんカナダのオンタリオ州にある都市、ウィンザー出身です。川を隔てたすぐ北側は、アメリカ・ミシガン州デトロイト。カナダの最南端に位置する国境の都市で、両親と3人兄弟の家庭に生まれ育ちました。私の故郷は、アイスホッケーが非常に盛んな地域です。幼い頃から大好きなスポーツで、仲間と夢中になって遊びましたね。冬になると自宅の裏に、父がスケートリンクをつくってくれました。-20℃まで冷え込む朝晩、父が息を白くしてスケートリンクに水を撒く姿を、暖かい部屋から眺めていたことをよく覚えています。放課後になると、近所の子どもたちが一斉に集まってきて、時を忘れて没頭しました。父がつくったスケートリンクが、まるでコミュニティセンターのようになっていたのです。父がようやく外灯を消したら、「帰る時間」の合図です。それがなければ、みんないつまでも遊んでいたことでしょう(笑)。アイスホッケーを通して学んだことはたくさんあります。リーダーシップの役割やマインド、コミュニティづくりに関するスキルなど、アイスホッケーのおかげで自然に身についていきましたね。

13~14歳の頃、武道を始める機会がありました。偶然にも、アイスホッケーのライバルチームのコーチが、武道も教える人だったのです。私には当時から、アジアに対する強い関心がありました。ブルース・リーにも憧れていたし、武道のように長い歴史や伝統を持つものに対して、畏敬の念を抱いていたのです。「武道をやれば、アイスホッケーも強くなるよ!」…。体験レッスンに訪れた私を、先生は甘い言葉で誘いました(笑)。しかし、ひとたび始めてみると、すぐに困難に直面しました。身体は硬いし、まったく思うように動けないのです。チームスポーツに慣れていた私にとって、個人競技は初めての経験。最初は戸惑いの連続でした。しかし、稽古を重ねるごとに型が身につき、次第にその奥深さに魅了されていきました。

クライスラーの工場勤務から、一念発起して日本へ!

大学時代には、主専攻で社会学、副専攻でビジネスを学びました。また、学費を稼ぐために18歳から4年半ほど、クライスラーの工場で溶接作業をしていました。1日550台のクルマの溶接が行われる現場で、12時間のシフト勤務です。週に3回、汗だくになって働きながら、ハードワークの大変さを身をもって経験しました。ときは1980年代後半。トヨタ式「カイゼン」という言葉を、初めて知った時代でした。「現状(Good)に満足せず、より良いもの(Great)にしていこう」というスタンスは、私の仕事のクオリティに対する基準値を大いに高め、その後のキャリアを支えてくれる大きな強みとなりました。

さて、21歳になった私は、来る日も来る日も工場で働きながら、自分の将来について想いを巡らせていました。私は一生この街で、この仕事を続けていくのだろうか…?もしくは、弁護士として身を立てるのはどうだろうか…?いや、世界は広い!そして人生は1度きりだ…!そう思ったとき、幼い頃から抱いてきたアジアへの興味が、再び湧き上がってきたのです。そうだ、アジアへ行ってみよう!そう思い立った私は、すぐに情報収集を始めました。当時はインターネットがない時代です。新たな情報を得るためには、図書館へ行く以外に方法はありませんでした。街の図書館を訪れた私は、アジアに関する蔵書について尋ねました。そんな問合わせをする人は、おそらく誰ひとりいなかったのでしょう。受付の担当者に怪訝な顔をされながら、ようやく私はアジア関連のコーナーへと辿り着きました。それは、館内4階のいちばん奥…おそらく誰も足を踏み入れたことがないような場所にありました。その一角には、『ロンリープラネット』という旅行ガイドブックシリーズが、ズラリと並んでいたのです。中国、台湾、韓国、日本…。アジア諸国の背表紙が並ぶなか、私はなぜか「日本」に惹かれるものを感じました。なかでも特に目に留まったのが、大阪・道頓堀の「グリコサイン」の写真でした(笑)。そのガイドブックによると、大阪人には「おしゃべりが好き」「笑いが好き」「飲み食いが好き」「スポーツが好き」「ハッキリ物を言う」…そんな特徴があるというのです。それって、まるで私のホームタウンみたいだ…!思わずシンパシーを感じてしまった私は、その瞬間に大阪へ行くことを決めていました。

22歳、全財産25,000円を握りしめ来日。公園で寝泊まりしたことも…。

ランスタッド株式会社 代表取締役会長兼CEO Paul Dupuisさん1990年、大学を卒業してすぐに大阪へ旅立ちました。22歳、飛行機に乗るのも初めての経験でした。日本語はもちろん話せませんし、日本人の知り合いがいないどころか、日本人を見たことすらありませんでした。そんな無謀な私の冒険を、両親は心から応援してくれました。私は当時の全財産25,000円を握りしめ、バックパックを背負って意気揚々と大阪に降り立ちました。そしてしばらくの間は、西成区(釜ヶ崎)の公園のベンチで寝泊まりしたのです。時を同じくして西成暴動事件が勃発し、まさに現場のド真ん中にいた私は、ガイドブックに載っていないような貴重な経験をしました。

当初はワーキングホリデービザで来日しており、半年間だけ日本に滞在するつもりでした。しかし、幸運にも公立高校の英語教師の職を得ることができ、気づけば5年の月日が経っていました。素晴らしい空手道場にも巡り合えたことで、帰国するのが惜しくなってしまったのです。1995年の全日本大会では、男子組手の種目において準優勝を果たすこともできました。同年に起きた阪神淡路大震災では、被災地でのボランティア活動にも参加しています。いつしか日本は、私にとって第二の故郷になっていました。来日当初はさっぱりだった日本語や日本文化に関する知識も、空手の稽古や居酒屋での飲みニケーションを通じて、自然に吸収していきましたね。

アルバイトを含めたすべての経験が、現在のキャリアに繋がった。

1995年に一度、カナダに帰国しています。父親が高校教師、母親が小学校教師だったこともあり、バンクーバーの大学院で教育学を学ぶことにしたのです。大学院時代には、高級ホテルのドアマンやベルマン、コンシェルジュなどのアルバイトを通じて、多くのことを学びました。どんなビジネスであれ、最終的に差をつけるのはサービスのクオリティです。私はサービスの本質を、このとき深く学ぶことができました。大学院卒業後は、カナダで公立学校の教師として働いていました。

1998年に再び日本に戻り、神戸出身の日本人女性と結婚しました。現在、2人の息子がおりまして、長男は187cm、次男は198cmと長身です(ちなみに私は185cm)。2度目の来日後は、大阪薫英女学院の国際教育部長として、留学プログラムを担当しました。カナダとニュージーランドに毎年約600名の生徒を留学させるため、航空会社や保険会社、ホームステイ先、教育委員会との交渉などを担いました。2005年には独立起業し、カナダ大使館の協力を得ながら、製薬業界やロボティクス分野における日本企業とカナダ企業のマッチングを担いました。その後、ご縁があって日本の人材派遣会社ウォールストリートアソシエイツに入社し、大阪と名古屋の事業立ち上げを担いました。3年間で20名から500名へと組織は急拡大。後に大手人材企業の子会社となり、今度は東アジアを中心とした人材紹介事業のグローバル展開を最前線で担う役割を得ました。そして2013年、シンガポール赴任時にお声がけをいただいたことから、ランスタッドとのご縁が始まりました。振り返れば、私はクライスラーの工場で働いていた頃から、世界に良い影響をもたらす仕事がしたいと熱望してきました。今、アルバイトを含めた過去のすべてのキャリアが、私の現在に繋がっていることを実感しています。人材サービスとはまさに、一人ひとりの人生に良い影響をもたらすことができる社会貢献性の高い事業です。キャリアのどの段階においても、目の前のミッションにコミットし、情熱を絶やさず取り組んできたことで、いつしか自身が求めてきたコアの価値観が満たされる仕事に巡り合えたことに、心から感謝しています。

赤字が続いていたインド事業のスピード再建に成功!

ランスタッド株式会社 代表取締役会長兼CEO Paul Dupuisさん2013年9月にランスタッド・ジャパンに入社し、プロフェッショナル事業部のマネージングディレクター(MD)を務め、翌年7月には役員に就任しました。大きな転機となったのは2017年。今度はランスタッド・インドのCOO就任のオファーをいただいたのです。まさかの展開に、妻は腰を抜かしていました(笑)。念のため、事前に現地へ視察に訪れました。初めてインドを訪れたときの衝撃は今でも忘れません。市街地を、牛やヤギが人と車に混じって悠々と歩いているのです。これから成長・発展していく国の独特なエネルギーが漲っていて、非常にワクワクしたことを覚えています。

COO就任の翌月には、MD兼CEOにも就任しました。私に与えられたミッションは、赤字が続いていたインドの事業を立て直すこと。とはいえ、現地のメンバーの立場からすれば、言葉もわからない、インドの文化もまったく知らない外国人が、いきなり会社のトップに就いたわけです。そんな人間に事業の立て直しなどできるはずがないと、当初は誰もが思ったことでしょう。実際に、すぐに辞めると思われていたようです(笑)。そこで、私がいちばん最初に取り組んだのは、社員の声を聴くことでした。1ヵ月の間に全国の拠点を訪問し、100名の社員との面談を実施しました。私は新しいことに取り組むときはいつでも、現場から学ぶ姿勢を大切にしています。社員との面談では、「ランスタッドの長所や短所」「なぜランスタッドで働くのか」「CEOに期待すること」など、とにかく一人ひとりの声に耳を傾けることに徹しました。100名の面談が終わる頃には、私のノートは社員の声でいっぱいになっていました。

結果的に、私が着任してから14ヵ月目で、ランスタッド・インドは黒字化を達成しました。その間には、半数もの役員が入れ替わるなど、相当な痛みも伴いました。しかし、それ以上に喜びや感動の瞬間に恵まれたと感じています。さらに喜ばしいことに、ランスタッド・インドの成長率は、2021年には世界38拠点中No.1に輝いたのです。2017年の時点では最下位だったわけですから、実に感慨深いものです。これもひとえに、信じてついてきてくれたメンバーのおかげだと思っています。どんなに厳しい状況においても、リーダーはビジョンを掲げること、そして自身がその実現を強く信じることが重要です。そうすれば必ず、同じように未来を信じる仲間が生まれてきます。それは次第に波紋のように拡がり、組織としての大きなパワーに変わるのです。

ビジネスの成功の鍵は、「数字」よりも「人」にある。

事業を成功へ導くためのポイントは、何より「人」にあると思っています。大切なのは、学歴が高い人より、ハート(心)が良い人を集めること。その結果として、組織は高いパフォーマンスを発揮できるのです。そのような人材を集めるためには第一に、リーダーが目標を明確にする必要があります。その目標もまた、「WHAT(何を)」や「HOW(どのように)」に傾倒せず、「WHY(なぜ)」を明確にしたものであることが重要です。私たちは、なぜ人材サービスを提供するのか…?それは、このビジネス以上に、世界中の人々の人生にインパクトを与えるものはないと心から信じているからです。ビジネスにおける「目標」といえば第一に、「数値目標」を思い浮かべる方が多いと思います。しかし、「数字」よりも「人」が先にあるというのが私の信念です。「人」というのは、すべての従業員、その家族、そしてクライアントなど、私たちのビジネスに関わるあらゆる人々を指しています。まずは「WHY(なぜ)」を明確に発信し、ビジョンに共感してくれるハートの良い人材を集める。そして、関わる「人」を大切にし、彼らが輝ける環境を整える。そうすれば、自ずと業績に反映されるものです。人の成長こそがビジネスの成長をもたらし、そのような成長できる環境を求めて、さらに良い人材が集まるという好循環が生まれるのです。

ランスタッド株式会社 代表取締役会長兼CEO Paul Dupuisさんデュプイ氏が描く、ランスタッド・ジャパンの未来。

2021年7月に、ランスタッド・ジャパンの代表取締役会長兼CEOに就任しました。日本は世界第2位の人材市場でありながら、まだまだ拡大のポテンシャルを秘めた成長市場でもあります。私の大好きな日本で、ビジネスの発展に貢献できることを大変うれしく思っています。現在、全国に90の拠点があり、正社員は2600名、派遣社員は約3万名。国内の人材企業においてトップ10に入っています。2010年にフジスタッフホールディングスを買収したことで、取引先の多くが日系企業となりました。おかげさまで、直近の決算では過去最高の業績を達成することができています。企業のトップとして予算の達成は約束であり、約束を守るのがリーダーの役割です。予算は必ず達成しますが、それ以上に日本のメンバーを成長させることが、CEOとしての重要な使命だと思っています。会社の成功とは、利益や売上、社員数などの数値をもって客観的に評価されるものです。しかし、それは前提として、私は何より優秀な人材を集め、彼らにビジョンを明確に伝え、そこからカルチャーを醸成していくことを重視したいと考えています。人が成長すれば、自然とNo.1になれるのです。だからこそ、一人ひとりが実力を発揮できる環境を整え、ランスタッドを誇りに思えるブランドへと育て上げていくことが重要です。海外では、誰もが知っているランスタッドですが、日本における認知度は、まだまだ高いとは言えません。業界において最も称賛されるような存在、誰もが働きたいと憧れるようなブランドへと存在価値を高めていくために、今後も尽力してまいります。

 

◆ 編集後記 ◆

今回の取材に応じてくださったカナダ人のデュプイ氏は、流暢な日本語をお話になると事前に伺っていたが、まさか大阪弁をマスターされているとは想定していなかった(笑)。まっすぐと相手の目を見て、どんな質問にも真摯に、かつユーモアいっぱいに答えてくださるので、あっという間に時が過ぎてしまった。物腰もやわらかく、非常に親しみやすい印象を受けたが、実際には心身ともに、かなりチャレンジングな人生を歩んでこられた方だと感じた。アイスホッケーと武道を極めて鍛え上げられた精神と肉体。そして、誰ひとり友人のいない遠い異国の地に飛び込み、言葉を覚え、ゼロから仲間をつくってきたのだから…。そのうえ日本にとどまらず、アジア地域で25年以上にわたり、多くの経験と実績を積み重ねてこられた。赤字が続いていたランスタッド・インドの改革と成長を加速させ、インドの人材派遣業界においてリーディングカンパニーの一つにまで押し上げたのも輝かしい功績である。そんなデュプイ氏のお話のなかで特に印象的だったのが、武道とビジネスを両輪で極めるなかで見出した彼ならではの美学である。たとえば空手には「型」が存在するが、それは何度も同じことを繰り返し、コツコツと技を磨いていくプロセスである。その重要性は、ビジネスにおいても共通しているということ。そして、「good」と「great」には大きな乖離があるという。「goodはおもんない、中途半端。やるんやったらgreatや!」…と、ここでも大阪弁が飛び出した。その一方で、日本人に対しては、プロセスを称賛する文化も必要だと感じているそうだ。たとえ小さくても一つの目標を達成したら、大いに褒めて賞を与え、ワイワイ楽しむ環境をつくること。かつてデュプイ氏が空手の全国大会で銀メダルを獲ったとき、試合後の乾杯で日本人の仲間から「残念やったな、また来年!」と言われたというエピソードが象徴的だ。確かに謙虚であること、100点よりも120点を目指すストイックな姿勢は日本人の長所とも言えるが、ときにバランスは大事。インドでも積極的に展開した「褒める文化」をジャパンにも取り入れるため、オフィスレイアウトの3大コンセプトに、「セレブレーション(祝う)」を盛り込んでいるそうだ。目標に対して果敢にチャレンジすること、達成の喜びを分かち合うこと、その積み重ねの先に、数字や成長がついてくる。今回の取材には、社員の方々も数名同席されていたが、みな口々に会社や仕事の魅力を語ってくださった。社員の方々がランスタッドで働いていることに誇りを持ち、生き生きと過ごされている様子を伺うことができた。デュプイ氏のリーダーシップにより、同社が日本市場においてもさらなる成長を加速させていくであろう未来が、今から非常に楽しみである。

取材:四分一 武 / 文:アラミホ

メールマガジン配信日: 2022年8月8日