株式会社グローバル・リンク・マネジメントは、土地仕入・投資用不動産企画・開発、分譲、建物管理、賃貸管理までをワンストップで展開する不動産ソリューション企業だ。同社の特徴は、都心のコンパクトマンション(※単身者や少数世帯の居住を想定した20㎡~50㎡、1Kから2LDKの間取りの住戸)の企画開発に特化していること。自社ブランド『アルテシモ(ARTESSIMO)シリーズ』は、東京23区を主要エリアに87棟を展開(2018年12月末時点)。都心生活者のニーズを見事に捉えた同シリーズは現在、管理物件約2100戸のうち99%超の入居率を誇っている。創業以来、スピーディーな事業展開と右肩上がりの成長を続ける同社。今回は、創業者の金社長に、彼の生い立ちから不動産業との出逢い、経営哲学、将来の展望にわたるまで、非常に欲張りな取材が実現した。

在日コリアン三世として、横浜中華街で生まれる

生まれは横浜中華街、在日コリアン三世です。祖父母が朝鮮半島から日本に渡り、中華街に住み始めたのがルーツになります。当時の祖父母にとって、日本は言葉も知らない異国の地。そこで何とか生計を立てるため、あらゆる商売を手がけながら、最終的に貯めた資金で中華街に土地を購入しました。そこから徐々に、不動産管理ビジネスを家業にしていったのです。

中華街という土地柄上、私は物心ついた頃から、インターナショナルな環境で育ちました。周囲には、やはり商売人が多かったですね。ちなみに我々のような在日コリアンの子供は、医者か弁護士になりなさいと言われて育つのが普通でした。なぜなら企業や公務員への就職は、日本において圧倒的に不利だったからです。国籍関係なく機会が開かれた職業といえば医者でした。弁護士にも前例はありましたが、それ以外の道となると、自分で商売をする以外なかったのです。実際に大学の専攻も、兄は医学部、私は法学部へと進みました。

中学・高校・大学と、日本の学校を出ていますが、名前はコリアンネーム一つで、いわゆる通名を持っていません。マイノリティーに対する差別やいじめに遭った経験も当然ありますが、理解してくれる人間を大切にすれば良いと幼少期から教えられ、比較的ポジティブな環境で育ったほうだと思います。

脱サラした父が事業に失敗。家業の立て直しに奔走する日々。

株式会社グローバル・リンク・マネジメント 代表取締役 金 大仲さん私の父はもともと、まったく商売っ気のない人でした。そんな父が、バブルのピークに突然の脱サラ。中華街で飲食店を始めたのです。開業当時、所有していたビルのテナント全部を立ち退かせ、内装もバブル仕様に一新。従業員も30名ほど雇用しました。ところが…。突然バブルが崩壊し、一瞬にして借金地獄に陥ってしまったのです。結果的に私の高校・大学生活は、ほとんど家業に費やされました。ほぼ毎日、飲食店のシフトに入っていましたね。いよいよ経営が厳しくなり、大学生の頃には従業員を完全にリストラ。私と母、親戚の叔母と3人で、365日休まず営業という状態になりました。父はというと手伝うわけでもなく、相変わらず志だけは高いまま(笑)「とにかく世界に出ろ」ということで、兄を韓国へ、妹をアメリカへ留学させていました。その学費や生活費は、私と母が働いて捻出するのです。この永遠のシフトから逃げ出したい…。そうは思いながらも、自分が家族を支えなければという使命感で必死に働きました。しかし、結局は兄も妹も帰国しなければ立ち行かない状況になり、家族全員で厨房に入った時期もありました。

この先に大逆転はない…。それは判っていましたが、当時は日々の運転資金を稼ぐのに精一杯。負のループから抜け出す術などありません。しかし、そんな苦しい状況下においても、私が大学まで進学できたのは、ベースに不動産の家賃収入があったからなんです。飲食業の難しさを痛いほど感じていた私にとって、不動産業は安定した魅力的なビジネスに思えました。いつか自分も不動産オーナーになりたい…。そう思い始めたのは、この頃だったと思います。

人生に影響を与えてくれた、かけがえのない出逢い。

大変な学生生活ではありましたが、出逢いには恵まれていました。その一つが、大学教授とのご縁です。私は当初、弁護士になろうと法学部へ進みました。法律的な側面から、在日コリアンのサポートをしたいという想いがあったからです。しかし、自身も在日コリアンである教授が、あるとき人生を変える助言をくださいました。「弁護士になるのも素晴らしい。だけど、もし君が真の社会貢献を目指すなら、ビジネスで成功しなさい。そして、多くの弁護士を使える立場になりなさい」…と。この言葉に非常に感銘を受け、私はビジネスの道に進むことを決意しました。

また、当時は家業と両立して、民団(在日本大韓民国民団/日本に定住しており、朝鮮半島にルーツを持つ人々を支援するための韓国政府の公認団体)の学生会会長を務めていました。200名ほど引率して韓国へ行ったり、勉強会やイベントを開催したりと、精力的に活動していました。その結果、会長就任当初は数十名だった関東の学生会は、3年ほどで数倍規模へと拡大。当時は酒を飲みながら、自分たちが日本社会、そして世界で、どのように生きてくのか、仲間と熱く語ったものです。また、ビジネスで成功されている商工会の先輩方からも、大きな影響を受けました。自分も事業で成功して、経済的自由を手に入れたい。一刻も早く、そちら側へ行きたい!…と、非常に感化されました。このとき築いたネットワークは、今でも大いに活きています。学生会の同胞には起業した人間も多く、各所で活躍されていますからね。

紆余曲折したのち、収益不動産にまつわる原体験に立ち返る。

最初の就職先は、金融機関でした。不動産担保に強い会社だったので、将来の独立に向け、不動産と金融の仕組みを学ぼうと思ったのです。結局その会社は、1年で辞めることになります。再び家業の立て直しに戻ることになったからです。

相変わらず飲食店の経営は厳しかったのですが、何とか立て直しを図りつつ、不動産管理業のほうへと主軸を移していきました。最初は親戚のテナント管理から始め、所有物件を徐々に増やしていきました。5~6年後には、ようやく家業の経営も改善。とはいえ、このまま続けても、大きな飛躍が望めないことは明確でした。このまま自分は、そこそこで終わってしまうのだろうか…。そんな矢先、転機は突然に訪れました。

第2子を授かったのを機に、マンションを購入したときのこと。とある不動産企業の社長との出逢いが、思わぬ転機となりました。その会社は、設立5年目の不動産ベンチャー。社長は私より少し歳上の若さで、上場間近だと言います。おそらく資産家の2代目か何かで、スタートから恵まれた人なのだろうと踏んでいました。ところが話を聞いてみると、なんと営業力1本で独立し、ここまで来たと言うのです!その瞬間、一気に視界が拓けた感じがしました。自分が求めていたのは、こういう世界だ…!もともと家族が中華街に不動産を所有し、「商売」+「不動産収入」というビジネスモデルを間近で見てきた私です。そして、不動産の収益こそが、家業の危機を乗り切り、発展できた要因でした。飲食店を手伝っていた高校生の頃から、いつかは自分も不動産オーナーになりたいと思っていたのだ…。収益不動産を紹介し、多くの方々を豊かにできたなら、それは必ず素晴らしいビジネスになる。私も上場できるような会社を創って、いずれ世界進出を果たせるような夢のあるビジネスがしたい!自分の原体験に立ち返ったことで、目標が明確になりました。そこで、まずはIPOを目指している投資用不動産ディベロッパーで、修行を積むことにしました。

入社後すぐにトップセールスを達成、1年後に独立。

株式会社グローバル・リンク・マネジメント 代表取締役 金 大仲さん転職したのは29歳のとき。1年後には独立する旨を伝えて入社しました。給料は要らないので1年だけ修行したいと申し出ると、「それほどの意気込みがあれば売れるから是非やってみなさい。1,000万円貯金して、物件が売れるなら独立できるぞ」と、社長がチャンスをくださったのです。

入社後は、投資家への販売営業を担いました。このときも、「金大仲」という名前を言うと、門前払いを受けることがありました。会社からは通名を使うことも提案されましたが、私には通名などありません。それに、たとえ本名で仕事をしても、結果を出せる自信はありました。金融や不動産、飲食、税金など、お客様のお役に立てる知識や経験を、これまで充分に備えてきたからです。そして、収益不動産を所有するメリットを、誰より実感している人間だと自負していました。物件を売ろうとするのではなく、お客様の人生観や課題に応じて、不動産の活用方法をソリューションするスタイルで、すぐにトップセールスを獲ることができました。
約束通り、1年後に独立。この会社で、起業に直結する知識やノウハウを存分に学ばせていただいたことを、心から感謝しています。

2005年に起業。創業1年目から、自社ブランドの不動産を手がける。

創業当初に苦労したのが、物件の仕入れでした。前職は投資家への販売営業だったので、仕入れに関するネットワークも経験も持ち合わせていなかったのです。さらに、創業当時はリーマン・ショック前。不動産バブルの影響で、市場に物件がありませんでした。せっかく売る相手が見つかっても、売るモノがない状態…。当時は紹介を辿ってディベロッパーを廻っては、一戸一戸の物件を搔き集めるのに必死でした。その傍ら、投資家への販売営業も、足を停めずに継続していました。営業目標を淡々と達成し続け、気づけば投資家からの購入申込みがストックされた状態に…。そのとき初めて、とある不動産ディベロッパーの社長から営業力を認めていただき、1棟丸ごとの販売を提案いただいたのです。創業して、約半年後のことでした。

まさに絶好のチャンス!私はすぐに銀行借入を行い、マンション2棟を仕入れました。このとき、自社ブランドを展開する決意をしたのです。自社ブランドなら、コンセプトやデザインを自由に決められるし、シリーズ化してブランディングもできる。そのほうが、投資家様や入居者様にも貢献できるという確信があったのです。満を持して、採用も一気に強化。創業1年で、自社ブランド『アルテシモ(ARTESSIMO)シリーズ』の販売開始が実現しました。

土地仕入・企画・開発、分譲、建物管理、賃貸管理まで、ワンストップで提供できるビジネスモデルは、創業から5年ほどで完成しています。また、提携ローンのラインナップも、19行の金融機関と提携および取引に成功。おそらく弊社は、提携金融機関が日本でトップクラスに多い投資不動産会社ではないでしょうか。創業当初は不動産の販売より、ビジネスの仕組みづくりに苦労しましたが、先手で勝負して地道に土台を整えたことが、後の成長に繋がったと思います。

創業から12年で上場へ。スピード成長の要因とは?

創業時から、東京の「コンパクトマンション」の企画開発に特化してきたことが、弊社の成長に繋がった要因の一つです。「最寄り駅から徒歩10分圏内」「ターミナル駅まで30分前後」の立地にこだわり、都会に暮らす人々のニーズを捉えた商品展開を行ってきました。今後も東京には単身者が増え、ますます人口が集中してきます。勤務地の近くに住みたいという若い人も多く、変わらず安定したニーズが見込める商品です。オーナー様、投資家様、入居者様の全員がハッピーになれるビジネスモデルだからこそ、弊社は創業時から右肩上がりの成長を継続できているのだと思います。

また、創業1年目から自社ブランドを手がけ、2年目に賃貸管理、5年目には建物管理を自社で請け負い始めたことも、会社の成長を後押ししてくれました。自社ブランドについては、入居者の募集、家賃の徴収、入退去、建物自体の管理まで、すべてワンストップで担っています。東京には、コンパクトマンションの販売会社が300社ほど存在しているといわれていますが、ワンストップ体制を確立しているのは全20社前後といわれています。物件の販売会社と管理会社が同一なら、オーナー様と入居者様のストレスも軽減できます。なぜなら、すべて我々に相談すれば、一挙に解決できるからです。弊社としても、入居率や家賃相場の情報をリアルタイムで把握でき、意思決定を早めることに繋がりました。

営業スタイルを抜本的に変えたことも、非常に有利に働きました。それまでは、電話営業や飛び込みが主流でしたが、2011年に宅建業法が改正され、電話営業への規制が厳しくなったのです。我々は業界に先駆け、2013年からデジタルマーケティングを駆使したネット上の集客に転換。2015年末には、完全に電話営業から撤退しました。集客は代行する仕組みを作り、営業職員はクロージングとサービスに注力できる体制を整えたことで、営業活動の効率化を実現。お問合せをいただいたお客様に、弊社のセミナーや勉強会にご参加いただくスタイルになり、投資に無関心な人を説得する「プッシュ型」の営業から、興味のある人に提案する「プル型」の営業へと移行しました。現在、個人投資家エリアにおいては、8割がお客様からのご紹介、あとはリピートのお客様です。最も健全な投資家様との関係値を築けたことを、心より嬉しく思っております。

株式会社グローバル・リンク・マネジメント 代表取締役 金 大仲さんファミリー経営を原点とした、組織に対する考え方。

私が過去に就職してきた会社は、いずれも急成長の最中にあり、非常に勢いがありました。大量採用が基本で、金融機関時代の同期は600人、不動産ディベロッパー時代には、毎週20人が入社してくるような環境でしたが、ほとんどが短期間で辞めていく一方、会社は気にも留めません。しかし、私の原点には、家族や親戚に加え、一時は住み込みの留学生なども含め、20人ほどのチームで働いた飲食店時代の記憶がありました。まるで家族のような一体感で、意見をし合い支え合い、あらゆる苦難を乗り越えてきました。だから、共に働くチームは、家族と同様に大事にしたいという意識が強くありました。トップダウンで社員を統制するのではなく、対等の立場でコミュニケーションをとることは、組織運営において非常に大切なことだと心得ています。

我々の組織は、前職の新卒と、弊社の新卒のみで構成されていたので、会社のカルチャーは創りやすかったですね。離職率も業界水準より圧倒的に低いです。企業ビジョンや理念の浸透も実現できているので、今後は権限委譲を進めながら、新たな成長フェーズにチャレンジできると考えています。

創業期に経験した苦難の数々。

基本的には順調に成長してきた弊社ですが、しんどかった出来事は当然ありました。たとえば、ベンチャー特有の資金繰り難。私が金融機関の慣習を知らずに、図らずも不義理をしてしまった結果、突然融資を止められてしまったことがありました。そのときは、既に物件を押さえてしまっていたので、キャッシュフローが底をつく寸前の極限状態でした。このままでは従業員の給料も払えないので、辞めたかったら止めないと、苦し紛れに伝えた日もありました。

何より辛かったことといえば、社員がお客様と契約を結ぶ際、契約書の私のコリアンネームを見て、せっかくの契約が失注するケースがあったことです。それを知ったときには、本気で名前を変えようかと悩みました。しかし、「自分の力不足が原因だから、社長は名前を変える必要などありません。そのままでいてください」と、皆が言ってくれたのです。あれは本当に涙しましたね。

金社長が描く、今後の事業展開とビジョン。

弊社には、「不動産を通じて、お客様の〝真の豊かさ〟に貢献する」という企業理念があります。我々のお客様とは、「オーナー様」「投資家様」「入居者様」の3者です。まずは、土地のオーナー様。日本は今、少子高齢化、団塊世代の相続のフェーズへ、まさに突入しようとしているタイミングです。いかに次世代へ資産を繋いでいくかという課題は、社会的なテーマとも言えます。我々は、資産運用のプロフェッショナルとして、不動産を活用した相続対策のソリューションを、オーナー様に提供してまいります。

次に、投資家様。国内、海外、個人、法人、すべての投資家を対象に、豊かさを追求していく商品やサービスを充実させていきたいと考えています。特に今後は、売上の10%を占める海外投資家へのアプローチを、積極的に伸ばす取り組みをしていきたいですね。現在のメインビジネスは東京のコンパクトマンションですが、今後はホテルや商業施設の企画開発など、新たな領域への進出も視野に入れています。求められるのは、その土地自体をバリューアップさせるような企画開発。我々なら、積み上げてきた企画力やノウハウを活かして、新たな投資価値を創出できると考えています。

最後に、入居者様。今後も東京の人口は、まだまだ増える見込みです。特に単身世帯は増加の一途。2035年まで、増え続けるという統計が出ています。転入超過数で言うと、年間およそ8万人。この数字は、就学者、就労者、住民票の登録がある人に限った数のため、観光客や留学生まで含めた場合、さらに増える見込みです。この状況に対して、供給可能な新築・賃貸用の分譲マンションは、現在たったの7,000~10,000戸。圧倒的に足りていません。我々は、そこに大きなポテンシャルを見出し、留学生向けマンションの企画開発もスタートしました。快適な住まいの供給ができていない現状の課題解決に加え、今後は留学生活の細やかなサポートも提供していきたいと考えています。ハイクオリティな不動産サービスが実現し、優秀な人財が海外から集まれば、日本に外貨を呼び込むことも可能です。また、彼らが日本で起業すれば、さらに面白い展開も期待できます。我々に、そのような仕組みが支援できたら素敵ですね。

今後はさらに、AIも積極的に活用しながら、「不動産ソリューション」×「テクノロジー」を推進し、価値あるサービスを創造していきたいと思います。オリンピックの開催地である東京は、ますます世界から熱い視線が注がれることでしょう。今後は大きく規制緩和も進み、多くのビジネスチャンスが生まれるはずです。我々は、この大きな波に確実に乗るべく、準備を着々と進めているところです。世界都市東京から、グローバルカンパニーへ…。社名に刻んだ使命を果たすため、飽くなきチャレンジは今後も続きます。


◆ 編集後記 ◆

金社長の第一印象は、非常に誠実な人。取材が始まると、ご自身の話をされる前に、まずは我々に関心を向け、多くの質問を投げかけてくださった。誰とでも丁寧に向き合おうとされる魅力的なお人柄に、お逢いしてすぐに引き込まれてしまった。

さて、「グローバル・リンク・マネジメント」という社名にもあるように、同社が描いているのは、創業時から世界展開だ。2018年には海外事業部を立ち上げ、海外投資家に向けた不動産の販売体制が本格的に整ったようだ。創業から1年で自社ブランドの不動産販売、5年でワンストップ体制の確立、東京にある金融機関ほぼすべてとの業務提携、電話営業からの撤退、東証マザーズ上場、東証一部への市場変更…。何事も、とにかくスピードが速い。ちなみに金社長がIPOに挑んだとき、「本名かつ韓国籍のままでは上場できない」と言われたそうだ。通名を使用するなら前例はあるが、本名のまま東証一部市場への上場を果たした韓国籍の人物は、過去には存在しなかったという。「私が韓国国籍3世として日本で東証一部上場を果たしたことは、ビジネスを志す在日コリアンの若者にとって、一つの希望になれたのではないか」と語る金社長。努力した人間に対して、日本は公平に評価してくれる国だということを伝えたかったようだ。この視座の高さと使命感が、業界において突き抜けた存在へと同社を引き上げていったのかもしれない。「熱が入ると、つい暑苦しい話をしちゃうんですが、できるだけスマートな感じでまとめていただけると助かります(笑)」と、お茶目な一面も見せてくださった。未来の事業展開に向け、目を輝かせて語る金社長。東京オリンピックを目前にひかえた今、同社の新たな躍進に期待できそうだ。

取材:四分一 武 / 文:アラミホ

メールマガジン配信日: 2019年6月24日