中小企業庁の試算によると、日本における70歳を超える中小企業・小規模事業者の経営者は、10年後には約245万人に達する見込みだ。この約半数にあたる127万人が、今のところ後継者未定の状況にある。このままでは廃業に追い込まれる企業が続出し、今後10年間で約650万人の雇用と、約22兆円のGDPが消失する可能性がある。現在、新型コロナウイルスの影響により、企業の倒産・廃業は、当初の試算よりも前倒しで進んでいる状況だ。今回は、この事業承継問題の解決を目指す、株式会社M&A総合研究所の代表取締役CEO、佐上峻作氏にお話を伺った。彼自身、これまでに複数回のM&Aを経験している。本稿では、事業のご紹介はもちろん、佐上氏が現在の事業を手がけるに至った経緯やビジネスに対する想いにわたるまで、詳細に迫りたいと思う。
すべての経営者様に、満足のいくM&Aを。
弊社はM&A仲介会社です。特徴は、従来型の仲介業務にAIテクノロジーを取り入れ、圧倒的な効率化を図っていること。日本では今、経営者の高齢化および後継者不在の中小企業が増えており、『2025年問題』と呼ばれる大量廃業の危機が刻々と迫っています。そのような中小企業にとって、M&Aは事業承継の手段の一つとして、近年では広く認知されるようになりました。しかし、従来型の仲介手法のままでは、2025年に迫る事業承継問題の解決には到底及ばないのが現状です。事実、後継者未定の中小企業は全国127万社(2019年時点)。この数字に対して、実際にM&Aが成約した実績は、全国で年間たったの4088社です。その要因として、M&Aの仲介業務の多くがアナログな手法に依存していること、そして、手間と時間を要する難易度の高い業務であることが挙げられます。その結果、担当者1人あたりの成約数が、年間1~2件が限界になってしまうのです。そこで、我々は仲介業務のプロセスにおいて、テクノロジーで解決できる部分を徹底的に効率化。たとえば、日本最大級のM&Aサイトを運営する弊社では、AIの活用と徹底したDXを通じて、譲渡企業様に対する関心の高い企業様を即時に見つけることが可能です。業界水準では、案件着手からクロージングまでの期間として、通常10ヵ月~1年程度を要するのが一般的ですが、弊社であれば最短3ヵ月でクロージングした事例もございます。M&Aアドバイザー1人あたりが扱える案件数を増やすことで、圧倒的にスピーディーな成約が可能になったのです。
私自身、過去に会社を譲渡した経験があります。上場企業の傘下に入ることで社会的信用力が増し、スピーディーな事業拡大を実現できたことで、M&Aの価値を実体験した人間でもあります。一方で、M&A仲介会社との接点を通じて、業界の課題にも直面しました。だからこそ、顧客視点で感じた課題を改善し、すべての経営者様に「満足のいくM&A」を提供したいと考えているのです。その一つの実践が、譲渡企業様への完全成功報酬制へのコミットにあります。多くのM&A仲介会社や金融機関は、着手金・中間金・月額報酬などの手数料を、成果にかかわらず請求しています。一方で我々は、M&Aが成約に至らない限り、譲渡企業様から手数料をいただくことは一切ありません。現在、建設業やメーカー、食品関連会社、介護施設など、歴史ある企業様の事業承継に関するご相談を中心に、年間数千件を超えるご相談をいただいております。
生まれは大阪。和宗の総本山、四天王寺の近くで生まれました。5歳上に兄がおり、幼い頃は何をするにも、兄に倣った選択肢が多かったですね。たとえば、サッカー。兄がやっていたという理由で、半ば強制的にサッカーをしていたのですが、まったく楽しくなくて…(笑)本心では、野球のほうが好きだったんです。自分の意志で始めたのは、絵画くらいでしょうか。幼い頃から絵を描くことが大好きで、小学校2~3年生のときに習い始めました。部活が忙しくなり、中学時代には辞めてしまいましたが、今でも絵は描き続けています。
起業して1年間、苦戦の連続。
神戸大学へ進学後、私は在学中に起業しフリーランスのWEBデザイナーの仕事を始めました。美術が好きという純粋な動機でした。しかし、ビジネスの世界となると、そう甘いものではありません。当時は1ヵ月間ぶっ通しで働いても、売上がほとんどないということもありました。その後起業を重ねては失敗を経験しました。その中で自ずと敗因が見えてきました。私の場合、「思いつくまま」「無計画」の行動が、うまくいかない原因でした。「計画」→「実行」→「評価」→「改善」。ビジネスにおいて大切な原理原則は、農学部で学んだ遺伝子研究の実験の方法と共通していたのです。
このまま独り起業を続けていても、なんだか頭打ちになりそうだ…。そう予感した私は、新たなインプットの機会を求めて、企業に入社することを決めました。就職経験のない私には、「会社」というものが果たしてどんな場所なのか、基準すらなかったことも課題に感じていたのです。
就職して得たスキルを活かし再び勝負!創業わずか1年にして、東証一部上場企業への株式譲渡に成功!
人生初の就職先は、サイバーエージェントの子会社(株式会社マイクロアド)でした。その当時、最も高度なエンジニアリングが必要な領域とされたインターネット広告に関心を持ったことが、主な入社理由でした。マイクロアドは、業界の最先端を走る成長企業だったのです。ご縁をいただいたきっかけは、学生時代に参加した起業コンテストを通じて、マイクロアドの人事担当者に出逢ったこと。親孝行を考える人に向け、プレゼントを探す体験を最適化したECサイトを考案した私は、関西エリアのコンテストで優勝し、東京大会への出場権を獲得しました。そのコンテストのスポンサー企業が、マイクロアドだったのです。
その後約2年間お世話になったマイクロアドを退社するタイミングで、新たに会社を設立しました。このときファンドからの出資を受けて立ち上げたサービスを、1年後に東証一部上場企業に売却することになります。事業内容は、女性向けのファッションやコスメ、男性向けの化粧品などを扱うECサイトでした。時はちょうど、ガラケーからスマホへのシフトが本格化するタイミング。人々が、スマホ画面でメディアを楽しむ時代へと変わろうとしていました。そんな中、上場企業に売却できるような価値のあるビジネスモデルをつくりたいと考えていたのです。結果的に、1年間という短期間で株式を売却し、その後は1年半、同社子会社の社長という立ち位置で事業を継続しました。この期間に、自社で企業買収を何度も経験しています。大手の傘下に入ったことで企業買収を重ねながら、会社の利益を短期的に伸ばすことができるようになったのです。
複数のM&Aを経験した私は、M&Aの方法や業者選びに関して、困っている人がたくさんいることを痛感しました。M&A業界には、優秀な方々が多数いる一方で、業務の効率化が遅れている現状があります。例えば、譲渡を希望している会社の企業概要書を制作するだけで2~3 ヵ月間を要することもあるのです。こんなペースでは、当事者である企業側の心理的負担は計り知れません。IT業界なら2~3ヵ月というのは、もはやトレンドが変わってしまうほどの時間軸なのです。私自身が自社を売却したときも1ヵ月間の遅延が発生しました。その期間はもう、生きた心地がしませんでした。自分は若かったので良かったものの、事業承継を目的に自社の売却を考える高齢の経営者に同じ状況が起こったとしたら、とても耐えられるとは思えない心理状況でした。また、同時期に祖父が亡くなったことも、私に大きな示唆を与えてくれました。うちは両親とも公務員ですし、祖父の会社を引き継ぐ人は誰もいません。結果的に、祖父の死とともに会社は廃業。このように、後継者の不在を理由に廃業に追い込まれる中小企業は、日本中にたくさんあります。この状況が加速すれば、価値ある企業やサービスが次々に消失し、それに伴い雇用も失われていきます。M&Aには確かな社会的意義があり、業界には改革の余地が大いにある…。このとき改めて、自分の進むべき道が見えたような気がしました。
佐上社長が描く、今後の展望。
経営者・起業家の立場に寄り添ったM&Aサービスを提供したい。日本の課題である事業承継問題の解決に貢献したい。そんな想いで設立したのが、M&A総合研究所です。おかげさまで我々のサービスを活用していただけるお客様も順調に増え、会社としても成長を続けています。一方社内の話ですが、人間にとって幸福を満たす要素は、ある程度の経済的余裕、仕事にやり甲斐を感じられること(他者への貢献)、プライベートの充実のバランスにあると思っています。今いてくれる社員にとって、幸福度に関わる3つの条件が満たせる環境を提供できる会社でありたいと思います。
◆ 編集後記 ◆
学生時代に起業、ビジネスコンテストで優勝、就職先でも半年ほどで全社MVP受賞、東証一部上場企業に会社を売却、数々の企業買収を経験、エンジェル投資家、M&A業界にイノベーションを起こすべく起業…。若くしてこれほどの実績が並ぶのは、もはや並大抵の人間ではない。佐上氏のご経歴を最初に伺ったとき、真っ先にそう感じたのだが、インタビューを通じて、それが確信に至るエピソードがあった。それは彼が、『僕は君たちに武器を配りたい(講談社)』の著者、瀧本哲史氏(京都大学客員准教授、エンジェル投資家、教育者)から、非常に可愛がられていたという事実だ。2人の出逢いは、学生時代に佐上氏が参加したビジネスコンテストにあったそうだ。そのときのメンターが、瀧本氏だったという。瀧本氏は当時、京都大学で教鞭をとり、「起業論」をはじめとした講義が学生から大きな人気を博していた。日本の未来のために、可能性のある若者を発掘し、熱心に支援していた人だった。2019年、残念ながら病いのために亡くなってしまったが、瀧本氏が未来の日本に遺したいと願っていたのが、まさに佐上氏のような突き抜けた若者だったのだと思う。
一方で、若くしてこれだけの実績があると、いかにもスマートに成功の道のりを歩んできたかのように思えるものだが、実際には数々の挫折を経験されている。たとえ周囲から嘲笑されても、その悔しさをバネに猛烈なハードワークを自らに課し、ついに東証一部上場企業に会社を1年で売却することに成功。
そんな起業人生にすべてを懸けてきた佐上氏にも、聞けば意外な一面があった。自然が大好きな彼は、毎年のようにカブトムシを獲りに行く趣味があるのだとか。昨年の夏も友人と共に、岡山県の山奥に出かけ、カブトムシの採集を楽しんできたそうだ。その方法は、インターネットで情報を集め、山に入ったら自らの鼻を頼りに、カブトムシが集まるクヌギの木の樹液を見つけ出すというワイルドなもの。そんな意外な素顔を知ることができ、なんだか少し安心を覚えた。とはいえ、また新たなステージへの挑戦と、今後も嵐のような日々はしばらく続きそうだ。未来を果敢に切り拓いていく若き起業家のストーリー展開が、今から非常に楽しみである。
取材:四分一 武 / 文:アラミホ
メールマガジン配信日: 2021年4月5日