2019年8月、ロボットシステムインテグレーター5社を幹事企業に、スマートファクトリーをワンストップで提供できる日本初のコンソーシアム『Team Cross FA(チームクロスエフエー)』が誕生した。同コンソーシアムの公式パートナーには、鹿島建設、電通国際情報サービス、日研トータルソーシング、日立システムズ、ミツイワなど、工場の設立や運営に不可欠なソリューションを提供する大手企業が名を連ねる。各々の企業が培ってきた技術やノウハウを掛け合わせ、「全体最適視点」に立ったスマートファクトリーのプロデュースを手がける、業界初の試みである。これにより、変化の激しい市場ニーズへの対応や、グローバル展開を進めていく狙いだ。同コンソーシアムを牽引するのは、製造業をこよなく愛する男、天野眞也氏。前職のキーエンス時代には、その突き抜けた営業力から〝伝説のカリスマ〟と呼ばれた人物である。企業の年収ランキングでも、常に上位を誇るキーエンス。そのような好待遇と名声を捨ててまで、天野氏を突き動かしたものは何だったのだろうか。長年の構想が、満を持して実現に向かい始めた今、彼にはどんな未来が見えているのか。本稿では、『Team Cross FA』の概要はもちろん、天野氏の幼少期から営業時代の仕事術にわたるまで、貴重なインタビューをお届けしたい。

Team Cross FA 天野 眞也さん日本初、最先端のファクトリービルダー誕生。

『Team Cross FA(チームクロスエフエー)』は、スマートファクトリーの構想から建築、管理運用までをワンストップで提供できる、日本初のコンソーシアムです。【※スマートファクトリーとは、ロボットや人、モノなど、工場のあらゆるデータを把握・分析し、そのデータを現場にフィードバックすることで、生産や経営全体を最適化できる工場のこと】コンソーシアムを構成する主な幹事企業は、株式会社FAプロダクツ(企画・プロデュース)、株式会社オフィス エフエイ・コム(開発・エンジニアリング)、ロボコム株式会社(自動化構想設計)、日本サポートシステム株式会社(加工・組立)、ロボコム・アンド・エフエイコム株式会社(加工システム・ロボットシステムのパッケージ化)の5社。いわゆるロボットシステムインテグレーター(工場の生産設備の導入提案や設計、組立などを担う事業者)です。さらに2020年には、株式会社INDUSTRIAL-X(ネットワーク・セキュリティ)、株式会社SaaSis(API連携)の2社が新たに加わり合計7社となりました。もちろん、これらの会社が得意とする〝生産設備〟の提供だけでは、スマートファクトリーは成立しません。そこで、建物、基幹システム、オペレーティングシステム、人材育成をはじめ、工場の設立・運営に不可欠なソリューションを提供いただける大手企業を公式パートナーとして迎え、各々の機能を掛け合わせた最適な工場を構築する〝ファクトリービルダー〟をコンセプトとしています。

「株式」ではなく、「機能」で繋がるスペシャリスト集団。

我々のようなロボットシステムインテグレーターはこれまで、顧客の仕様書に基づく設備を納品することで、いわゆる「部分最適」の技術を売りにしてきました。しかし、もはや技術だけでは、顧客の企業価値や競争力の向上に対して、本質的な価値提供が困難な時代が来ています。工場というのは、生産設備だけでなく、建物から上位のシステム、生産ラインなど、さまざまな要素により構成されています。また、その先には必ず、出口としての「市場」があるのです。多品種・少量生産が中心となり、市場ニーズの変化も激しい昨今では、製品の企画開発、設計の段階から製造工程、サプライチェーンにわたるまで、全体最適視点に立った工場の構築が求められます。そのような顧客の課題を一気通貫で解決しようとも、海外のように〝メガSIer〟と呼ばれる組織は日本にはありません。それぞれの企業規模も小さく、すべてをホールディングス化していくことも現実的ではないでしょう。だからこそ、私たちは協同組合のようなチームをつくり、個社のスペシャリストが集まることで、シナジーメーキングを図っているわけです。

特定のメーカーに依存しないスマート工場の構築へ。

『Team Cross FA』は、私にとって一番のビジネスパートナーである飯野氏(※株式会社オフィス エフエイ・コム代表取締役)と共に、長年あたためてきた「FA大連合」構想が、ようやく具現化したものです。現在は、経産省のロボット政策室、関東経済産業局と連携しながら、国内のスマート工場化に取り組んでいるところ。近い将来、特定のメーカーに依存しない独自のポジションを活かして、海外展開も進める所存です。組み立て製造業、プロセス製造業を含めて、グローバルには年間数十兆円に上る設備投資の需要があります。我々のコンセプトを戦略的に広めていければ、数千億円の需要を獲得できるはず。5年以内には、この数字を達成したいですね。

Team Cross FA 天野 眞也さん2021年春、南相馬に最先端のスマートファクトリーが誕生!

『Team Cross FA』の基幹工場として、最新の加工設備と組立設備を導入した実生産を行うスマート工場を、南相馬(福島県南相馬市復興工業団地)に建設中です。2021年春には、1万坪の広大な敷地に、我々ロボットシステムインテグレーターが本気でつくったスマートファクトリーが誕生します!ここは、いわゆるスマートファクトリーのショーケースとして世界中に門戸を開き、量産とグローバルエンジニアの育成を担いたいと考えています。地方創生の観点からも、南相馬とロボットテクノロジーを掛け合わせることで、金融機関や教育機関を巻き込み、人が集まることで町に活気が生まれます。福島・茨城・栃木のエリアを〝FIT〟と呼ぶそうですが、我々も同様に、自社の生産工場が位置する南東北、北関東、東京、福島で、いわゆる〝シリコンバレー〟を創っちゃおうと(笑)。とはいえ、夢ばかり語っているわけにはいかないので、私たちは既に『スマラボ小山』というショールームを開所しており、これまで7,000名以上の来場者の見学を受け入れてきました。この夏には新たに、『スマラボ東京』を日比谷通り、帝国ホテルからすぐの場所にオープンします。民間企業だけでは進まない大きな産業だからこそ、議員の方々にもぜひ足を運んでいただきたいと思い、この場所を選びました。レストランの居ぬき物件を改装した150坪のショールームには、会議室や厨房も備えており、イノベーターがDXの未来を語らうための〝イノベース〟として開放します。製造業のワクワクする未来を、ここから発信していきますよ!

一人っ子でありながら、大家族に囲まれて育った活発な幼少期。

生まれは東京ですが、生後6か月くらいから、横須賀にある母方の両親の家に預けられて育ちました。母がちょうど、自分の夢だった商売(確か手芸屋さんだったと思います)を始めた頃、ようやく遅めの一人っ子として生まれたのが私です。母の職場で、あるとき私が火傷か何かをしたそうで、心配した祖母が預かってくれることになったのです。横須賀の家は、祖父母と長男の家族が10人くらい同居する大家族!幼稚園に上がるまで、私は3歳上の兄と3歳下の妹に挟まれて、やんちゃ盛りの幼少期を過ごしました。とにかく横須賀の海が大好き! 東京の小学校へ通い始めてからも、長期の休みは必ず横須賀で過ごしていました。その名残か、今でも海を見たら、一目散に飛び込みます! 「千鳥の大悟」と同様、飛び込みグセがスゴいんです(笑)。テトラポットからだって飛び込みます! 脳天を打つとヤバいんで、さすがに深さはチェックしますけど(笑)。船で遊ぶようなときは、屋根まで登ってダイブしちゃいますね。

Team Cross FA 天野 眞也さんクルマとバイクが死ぬほど好き!

私の幼い頃といえば、〝スーパーカーブーム〟の最盛期。消しゴムやブロマイドを集めたり、スーパーカーが集うイベントに出かけたり、とにかくクルマが大好きでした。いつか乗りたいと憧れていましたが、少年時代はバイクのほうが身近だったのかもしれません。中学生の頃には、『バリバリ伝説(オートバイ競技を題材とした漫画/作者:しげの秀一)』にハマって、高校へ行ったら絶対にバイクに乗ると決めていました。別にレースに出たかったわけではなく、「モテたい」って動機のほうが強かったかもしれません(笑)。進学先の高校を選ぶうえでの明確な基準は、まず第一に、バイクに乗れること。そして、バイトができること。そのためには、私服通学OKな学校であること! この3つの条件を満たす高校は、都内に3校ありました。三鷹高校、法政一高(現・法政高校)、早稲田高等学院です。しかし、早稲田高等学院の受験には、あっさり失敗!自分では、まさか落ちると思っていなかったんです。このとき初めて、受験の厳しさを知りました。三鷹高校、法政一高には無事に合格。都立に行くと遊んでしまう確信があったこと、自分は受験に決して強くないと思い知ったことから、大学にエスカレーターで行ける法政一高を選びました。

入学早々、念願のバイクを手に入れるべくバイトを開始。しかし、数万円ほど貯まったところで、父に支援をお願いしました。実は私には、勝算があったのです。超マジメ人間だと思っていた父の、意外な若き日の写真を入手していたので(※偶然に実家の棚から発掘)。宇崎竜童みたいな父がまたがる陸王の後に、スカーフを被った母が横乗りでタンデムしている決定的なツーショットを!(笑) その写真のおかげで、狙い通り父の説得に成功。晴れてKAWASAKIのショップに、バイクを観に行くことになりました。面白いことに、納車当日は親父のほうが舞い上がっていたんです。軽トラで納車されるシーンに感動した父は、バイクを降ろした途端にエンジンをかけ、ノーヘルのまま発車!数分後、しっかりパトカーを連れて帰還したんですけどね(笑)。

Team Cross FA 天野 眞也さん何事もソツなくこなせるタイプ。でも、本気で何かに打ち込んだ経験はなかった。

若い頃の自分は、決して〝意識高い系〟の人間ではなかったと思います。わりと器用だったこともあり、そこそこ優秀なポジションにいたんです(笑)。たとえば、中学校の連合陸上競技大会。学校の代表はもちろん、三鷹市の優秀選手にも選ばれていました。それも、ガチの100m走ではなく、誰にも負けない110mハードルで(笑)。一方で、砲丸投げも強かった。マッチョでなくとも、距離を伸ばすコツを押さえていたので。中学校のバレーボール部も、3年間ずっとエースアタッカー。成績は、だいたい学年で2~3番目。決して1位にはなれないんですけどね。当時はむしろ、「必死こいて頑張るより、力まずそこそこ優秀なほうがカッコイイじゃん」…なんて思っていたんです。

大学時代も特に打ち込むものはなく、遊んでばかりいましたね。相変わらず、バイクとクルマは死ぬほど好き! 別に裕福な家庭ではありませんでしたが、一人っ子ですし、中古のクルマも親に買ってもらって、バイトしなくても困らないくらいの生活はできていました。

父親の言葉が決め手になり、新卒でキーエンスへ。

そんな私に、就職活動の時期が訪れます。せっかくなら、昔から好きだったクルマの業界へ行こうと、ホンダや日産にエントリーしたのですが、書類審査でサクっと切られてしまって。〝物書き〟という職業にも憧れがあったため、出版関係にもチャレンジしましたが、あっさり落ちてしまいました。父がTV局、父方の叔父が新聞社に勤めていたので、マスコミや広告会社への就職も考えていました。ちなみに、とある広告会社の役員面接で、私は父の知られざる素顔を知ることになります。私にとって親父といえば、まさに絵に描いたようにマジメなサラリーマン! いつもビシっとスーツに身を包み、毎晩遅くまで働いていたはずなんです。しかし、面接時に役員陣から聞こえてきたのは、叔父や父と遊んだ話ばかり…(笑)。私の知っている父親像と実際は、だいぶかけ離れていたようです。最終的に迷っていた就職先は、某自動車会社と、センサーメーカーのキーエンス。決め手になったのは、意外にも父の言葉でした。「俺が就職した当時、優秀だった同級生は、こぞって繊維や鉄鋼、造船の大手に就職したが、今や国際競争が激化して業界ごと伸び悩んでいる。現時点での企業規模や知名度にこだわるより、これから伸び盛りの会社を選んだほうが夢があるぞ」と。それは、名もないラジオ局への入社から、運良く伸び盛りのTV局に転身できた父ならではの、真実味のある言葉でした。確かに当時のキーエンスは無名でしたが、「これからセンサーの時代になる!」「自動化の時代がやって来る!」など、未来を熱く語る姿勢に、ワクワクしていたのも事実でした。親父の言葉に背中を押された私は、キーエンスへの入社を決めたのです。

Team Cross FA 天野 眞也さん先輩たちの働く姿に、それまでの価値観が激変!

キーエンスといえば、今でこそ名の通った企業になりましたが、私の入社当時はまだ、従業員300名弱、初の新卒採用をスタートしたタイミングでした。私の同期となったのは、大手からの内定も多数得られたはずのバブルの最中、あえて無名企業を選んで入社してきたメンバーたち。野心に満ちたタイプも多く、非常に刺激的な環境でした。一方で、高校受験以降、1ミリも勉強せずに社会人になった私…。営業ロープレは誰よりも下手! 断トツ落ちこぼれからのスタートでした。

キーエンスで学んだのは、「真面目に、きちんと。」こそが、一番カッコいいということ。下準備、訪問、報告など、日々の営業活動の積み重ねを徹底し、成果にコミットしている先輩方の姿を見て、これまでハーフアクセルで生きてきた自分が、急に恥ずかしく思えてきました。特に、私のメンターだった先輩は、超がつくほどの努力家! 入社3年目にして、仕事はデキるし、おまけにゴルフまで上手い! そんな人が、全然できない私のことを、少しも責めずに面倒を見てくれたのです。自分も、こんな人になりたい…! 先輩たちの姿に憧れた私は、本気で仕事を頑張ってみようと決心しました。

同期の新人190名のなかで、営業成績トップを獲得。

そこからはもう、泣きながら頑張りましたよ(笑)。売上が未達の日には夜勤の工場を訪問し、センサーの営業にまわったものです。結果的に新卒190名のなかで、営業ランキング1位を獲得。地の利や運の良さもあったとはいえ、結果的にトップを獲ってしまった以上、もう後には引けなくなりました。入社2年目には、全社でランキング1位を受賞。26歳でマネージャーになり、営業はもちろん、部下を育てる面白さに、一気にのめり込んでいきましたね。

Team Cross FA 天野 眞也さんキーエンスの元レジェンドに聞く、仕事の流儀。

私が入社した当時から、キーエンスが一般的な会社と明らかに違ったのは、営業のプロセス管理が仕組みとして徹底されていたことだと思います。デジタルの営業管理ツールがない時代から、新規顧客開拓数や訪問数など、プロセスがスコア化されてランキングに反映されていたのです。たとえ月単位で売上が達成できないときも、努力してプロセスでカバーしておくと、後になって必ず効いてくる。この頃の経験が、今でもDNAに刻み込まれています。

なんとなく仕事をこなして、2番手くらいの気楽な人生がいい。学生時代の私は、そんなふうに思っていました。しかし、社会に出てみたら、いわゆる〝町いちばん〟の人間が、社内にゴロゴロいるわけです。「なんとなく」では2番手にさえなれないと、すぐに悟りましたね。そんな私が営業として突き抜けられたのは、本質(顧客利益のゴール)は何かを常に考え、それに見合ったストーリー(価値)の提示をしてきた点にあると思います。たとえば、見積もりを出すシーン。多くの営業パーソンは、自社の積み上げコスト、つまり定価ベースで話を展開するでしょう。もう一つ視点を加えるとすれば、競合との比較。私の場合、顧客がその取引の先に実現したいことを見定め、それに見合ったベストなストーリーを組み立てて提案をすることを忘れませんでした。これは、私が空想家であることに起因するかもしれません。とにかくストーリーを描くことが好きなんです。人を喜ばせたい、ビックリさせたいという想いが、モチベーションの源泉なんですね。目の前の担当者のことが好き、相手も私のことが大好きなら、彼と添い遂げるためには何をしたらいいだろうと、永遠に考え続けることができます(笑)。そんな付き合い方をしていると、たとえそのとき受注できなかったとしても、どこかのタイミングで必ず声をかけてもらえるんです。なぜなら、そのときは社内の決裁が通らなかっただけで、既に担当者は私のファンになってくれていますから(笑)。次の予算が出たときには、すぐに一報いただけるわけです。

社長直轄プロジェクトの初代リーダーを担い、3年間で成功へ導く。

私が入社した当時のキーエンスは、『リード電機』という社名から変更したばかりの、誰も知らない弱小ブランドでした。ライバルは、オムロンや三菱電機など、名だたる企業群。大手の営業に出くわしたら逃げ出すしかないほど、当時はブランド力に大きな差があったのです。そんな現場のモチベーションといえば、会社を成長させること。いつかオムロンに追いつきたい!」…そんな想いを胸に、みんな本気で営業していました。

32歳のとき、私は社長直轄の海外戦略プロジェクトにて、リーダーを担うことになります。ミッションは、売上高1兆円規模のグローバル企業を開拓すること。まだ無名企業だったキーエンスが、そんな大手を開拓するなど、もはや正気の沙汰ではありません。最初に苦労したのは、社内を巻き込むことでした。当時のキーエンスには8つの事業部があり、各々が自分のノルマを必死で追っていました。そこに新たなプロジェクトの話を持ち掛けても、誰も自分ごとと捉えてくれないのです。そこで私は、相手にとって意味のある〝ストーリー〟を描くことに腐心しました。「俺たちがグローバル企業になって、業界のパワーバランスを塗り替えるんだ! そんなストーリーが実現したら、痛快だと思わないか?」…このプロジェクトにコミットすることが、会社と自分たちの成長に直結する。そのイメージが皆に伝わったとき、ついに全事業部が一丸となって契約を勝ち取ろうというムードに変わったのです。そこからは、「売上1千億円」の目標を掲げ、全社で競合他社の伸び率を徹底的に意識して競い合いました。まさに、100人将、1000人将、中華統一を目指すような『キングダム』の世界! プロジェクト開始から3年目には、グローバル企業との契約を立て続けに獲得! 念願かなって、ついにキーエンスが業界トップに躍り出たときには、涙が出るほど嬉しかったですね。泥臭さ全開でしたが、実にエキサイティングな体験でした。

Team Cross FA 天野 眞也さんワクワクドキドキ、楽しい製造業へ。

40歳の頃でしょうか。ひたすら突き進んできた私に、ふと心境の変化がありました。「キーエンス」という肩書きの付いた自分ではなく、「天野眞也」という一人の男として勝負してみたい…。そんな想いが芽生えてきたのです。会社の待遇には文句なし。仲間にも恵まれ、私にとって居心地の良い環境でした。しかし、自分のなかに燻っている情熱に抗えず、ついに独立を決意したのです。

キーエンスを退社後、FA領域における営業・販売支援サービスを立ち上げました。自分の営業力を活かして、大好きな製造業に貢献したいと思ったこと。そして、日本の製造業を再び元気にするための活路は、FA(ファクトリーオートメーション)にあると考えたからです。事実、産業用ロボットの世界4大メーカーのうち、2社は日本企業。センサーも同様、日本は有数の技術を誇ります。実は、FAに関する技術においては、日本は今でも世界トップクラスに君臨しているのです。このような素地を活かせば、今後は「モノづくり」ではなく「生産技術」、つまり〝工場を売るビジネス〟のグローバル展開で日本は勝負できる! それを具現化するために立ち上げたのが、『Team Cross FA』なのです。日本が世界に誇る製造業が、まさか我々の世代で落ちぶれるなんてカッコ悪いでしょ? だから、誰にも頼まれていないのに、勝手に日本を背負っているわけです(笑)。これからアジア市場に、自動化の波が来ます。私たちは、その波に乗れるよう、準備を着々と進めているところ。コンセプトは、ワクワクドキドキ、楽しい製造業! 効率性の追求なんて当たり前で、それだけでは価値がありません。GoogleやAppleのように、製造業が日本の学生にとって憧れの業界になることはもちろん、世界中から優秀な人財が集まってくるような魅力的な産業にしたい。海外の若者が日本のマンガ文化に魅せられるように、日本のモノづくりが最高に面白いってことを、彼らに教えてあげたいですね。そのためには、国はもちろん、若い優秀な学生たちに認知していただく必要があります。『Team Cross FA』の活動やショールームの解放など、さまざまなメディアを通じて発信に注力し、日本の製造業のブランド認知を高めていきたいと思います。

テクノロジーの力で、持続可能な未来を。

業界の生産性向上はもちろん、今後は「創エネ」「省エネ」を実現しつつ、安定生産に繋げることも製造業の重要なミッションです。我々には、持続可能な世界を、テクノロジーを通じて実現したいという大きなビジョンがあります。タイやベトナムがあるインドシナ半島諸国の平均年齢は約27歳。合計約4億人に上る人々が生活しています。新しいスマホや家電、住まいが欲しい、旅行にも出かけたい…。彼らの純粋な欲求を、従来のエネルギーのままの工場を稼働させて満たそうとすれば、たちまち公害に繋がってしまいます。人間の文明は、身体を温めたい、食べ物を焼きたいという欲求から、火を使うことで始まったとも言われています。今日ではさらに、遠くの人とコミュニケーションが取れるスマートフォン、早く移動できる自動車、飛行機など、人間の機能を拡張したいという欲求は加速し、そのまま行けば、地球を壊してしまう。100年前なら、それが想像できなくても仕方がないかもしれませんが、私たちは未来を知ることができるのです。また、日本は人手不足の問題を抱えていますが、世界に目を向ければ、人手なんていくらでもあります。それより深刻なのは食糧不足です。たとえば、スマートアグリを本気で推進すれば、地球環境を守りつつ、食糧不足を解決することは可能です。このような社会課題の解決にこそ、製造業が進むべき道があります。私にも娘がいますが、次世代を生きる彼らに、豊かな生活と地球環境を、同時に残してあげなければなりません。親父だったら、それくらいやらないと! 密かに燃えているところです。

 

◆ 編集後記 ◆

「近ごろ僕、Youtubeデビューしたんですよ!」…登場した途端、撮影したての『あまのっちチャンネル』を、意気揚々と見せてくださった天野氏。聞けば、ビジネス系Youtuber(略してBチューバー)という分野を開拓しようと企んでいるそうだ。動画に登場したのは、日本に数台しか導入されていない、超希少(かつ高価!)な3Dプリンター。フェイスシールドやマスクなど、3Dプリンターで製造した代物を、嬉しそうに紹介していた。「製造業が大好き!」と公言されているが、映像からも明らかに「ワクワク」が伝わってくる。「機械」とか「技術」とか、なんだか難しそうなイメージの製造業だが、天野氏を介して伝わってくるのは、楽しさそのもの。メインチャンネルの『AMANO SCOPE』も、製造業の動向や、業界の有名人との対談など、興味深い情報が発信されている。エキサイティングな進路選択を望む学生には、ぜひとも観て欲しい内容だ。

自社の生産工場を、それぞれ「南相馬ベース」「つくばース」などと呼び、実際にリノベーションしてカフェを併設するなど、遊び心は満載!まるで、秘密基地で遊ぶ子どものようなテンションである。お堅いイメージの製造業界に、こんな面白い方がいたなんて、新鮮な驚きである。天野氏が次から次へと語るビジョンは、不思議と映像として見えてくるような力があった。こうやって、みんな巻き込まれてしまうんだなぁ…(笑)。事実、彼が経営する会社では、グローバル人材の採用も積極的に行っており、ベトナムやタイで、自らプレゼンして優秀な学生を採用して来るそうだ。いろんな人を次々に巻き込む、業界のハブというか、潤滑油というか、彼にしかできない大業だと感じた。ワクワクドキドキ、好きなことに没頭している人は、とにかく見た目も若い! 日本の製造業に、どんなエキサイティングな未来をもたらしてくれるのか、非常に楽しみである。

取材:四分一 武 / 文:アラミホ

メールマガジン配信日: 2020年9月7日