株式会社ベビーカレンダーは、妊娠・出産・育児関連業界において、着実な成長を遂げている注目企業だ。2018年9月、同社が運営する『ベビーカレンダーアプリ』が、第12回キッズデザイン賞を受賞した。代表取締役の安田氏は、インターネット黎明期から長らくインターネットサービスに関わり続けてきた人物である。あらゆる事業領域の可能性が考えられるなか、少子化が深刻化する日本で、あえて出産・育児事業に参入した背景には、社会の希望である「子ども」がいる限りは求められる事業であり、インターネットを通じて世の中を良くしたいという信念があるからだ。今回は安田社長ご本人に、貴重なインタビューの機会をいただくことができた。

妊娠・出産・子育ての毎日を笑顔に。ママと専門家をつなげるプラットフォーム企業。

弊社はベビー領域において、主に2つの事業を軸に展開しています。まず1つが、産婦人科様向けのITソリューションサービスです。新患の獲得、外来・入院中の患者様とのコミュニケーション支援、退院後のフォロー支援、業務効率化による従業員様の満足度向上など、産院様の方針や経営課題に応じてカスタマイズを行ない、最適なプランをご提案しています。なかでもタブレット端末を活用したベビーパッドシリーズは、患者様の安心感や満足度向上に繋がるサービスとして非常に好評です。たとえば、診察の待ち時間や入院中のベッドで視聴できる赤ちゃんの指導動画、産後4年間にわたって配信されるメールサービス「絆レター」など、患者様に寄り添ったきめ細やかなサービスが特長です。現在、全国2400院ほどある産婦人科のうち450院以上に導入いただき、おかげさまで業界No.1のシェアを獲得しています。

もう1つが、妊娠・出産・育児中のママを対象としたメディア事業です。同業他社にも類似サービスはありますが、弊社のアプリ『ベビーカレンダー』の特長は、妊娠・出産・赤ちゃんが約1歳になるまでの期間、「専門家が監修したコンテンツ」を、「日めくりで」提供していること。子どもを産み育てる過程では、赤ちゃんのこと、ママ自身のこと、環境のことなど、変化や心配ごとが毎日のように生じるものです。困ったときには検索ひとつで情報が得られる便利な時代になった一方、本当に信頼のおける情報を見つけることは至難の業です。その点、『ベビーカレンダー』がお届けするのは、情報元となる医師や専門家の名前と顔、所属までを明示した、信頼性の高いコンテンツのみ。ネット上に氾濫する「まとめ系サイト」とは一線を画しています。世のママたちが情報に惑わされることがないよう、「このアプリさえ毎日チェックしていれば安心ですよ」…というのが、『ベビーカレンダー』のコンセプトです。おかげさまで今年、同アプリはキッズデザイン賞を受賞しました。信頼できる医師・専門家監修の情報を、ユーザーの状況に合わせて毎日お届けすること。助産師と管理栄養士に、いつでも無料で相談できること。このような私たちのこだわりが、世間から高い評価を得られたことを、非常にうれしく思います。現在、月間およそ180万人のユーザー様にご利用いただいており、2020年までに業界No.1のメディアへと成長させていきたいと考えています。

株式会社ベビーカレンダー 代表取締役社長 安田 啓司さん「人と違うことがしたい!」それが、幼い頃からの原点でした。

生まれも育ちも岡山県。厳しい父がいる家庭の次男として生まれました。幼い頃から、私は変わった子どもだったと思います。たとえば遠足で、一人だけ道の端っこを歩いて先生に怒られたり・・・。そんなことは日常茶飯事で、小学校、中学校ではだいたい廊下に立たされていた記憶があります(笑)別に意地悪をするわけでもない。遅刻をするわけでもない。極端に勉強がダメだったわけでもありません。でも先生には、必ず怒られていましたね。目立ちたがり屋だったかというと、それも違います。ただ、「人と違うことがしたい」という想いは、幼い頃からずっと持っていました。あの当時は、「みんなと一緒」が良しとされた時代ですから、変に目立ってしまうんですけどね。いま思えば、「人と違うことがしたい」というのは、ビジネスを企画するうえで一つの強みになります。どんなに勉強ができて協調性に優れ、プレゼンが上手だったとしても、周囲の意見に簡単に合わせてしまうようでは、ビジネスとしては陳腐な企画にしかならないわけです。人と違うことを常に求め続けてきた性質が、結果的に未来へ導いてくれたような気がします。

なんとなくの就職だったのに、気づけば仕事に没頭していました。

最初に就職したのは、地元企業の福武書店(現ベネッセコーポレーション)でした。当時はバブルでしたし、私が学生時代の会社選びの基準なんて、「給料が高い」「女の子がたくさんいる」・・・以上!そんなもんでした(笑)今の若い人たちには信じられない話でしょうけど、当時は企業の面接に行くと、「お車代」としてお金がもらえたような時代だったんです。私は理系の大卒でしたが、理系には将来性がないような気がして、地元で最も有名だった文系企業の福武書店に行くことにしました。やりたいことも特になく、地元で一生サラリーマンとして生きていくんだろうなぁ・・・と、なんとも漠然とした社会人のスタートでした。

ところが・・・。いざ就職してみると、仕事って予想以上に面白いんです。ベネッセに就職できたのが良かったのでしょう。若いうちから、どんどん仕事を任せてもらえました。当初は社内システムの開発や改訂、運用のエンジニアリング部門に配属されたのですが、新入社員の私に、ベテラン常駐エンジニアの5人のチームをとりまとめてくれと言われました。とても責任が重い仕事を任されたのです。当時、ITにまつわる人々の情報格差は相当なものだったので、自分の得意を活かして人の役に立てることが、非常に大きな喜びでした。仕事の成果として、社内のムダや非効率が明らかに改善されますから、皆の感動するリアクションが見られるし、「ありがとう」と感謝される。もう、土日も忘れて仕事に没頭しました。こんなに夢中になったのは、学生時代の麻雀以来じゃないでしょうか(笑)

株式会社ベビーカレンダー 代表取締役社長 安田 啓司さん人生最初に迎えた転機。東京転勤、新規事業の立ち上げを経験。

25歳のとき、突然の東京転勤が決まりました。都会の刺激的な環境と、その後のネット担当の社内公募に立候補したことが、私にとって最初の転機となります。社内公募に手を挙げた理由は、せっかく事業会社にいるのだから、お客様から直接「ありがとう」と言われる仕事がしたかったこと。そして、インターネットが好きだったこと。そして、新規事業を担うことになり、最初に立ち上げた事業は失敗に終わったのですが、次に手がけた女性向けのクチコミサイト『ウィメンズパーク』が、なんとか事業化に成功しました。もちろん、私のような若者に周りの方々のご協力を驚くほど頂いての成果ですので、この場を借りてお礼をいわせていただきます。いま振り返ると、当時の上司は本当によく我慢してくれたなぁと思います。好き勝手なことを提案して、お金もさんざん使わせてもらいました。自分のような部下がいたら、私だったらキレていたと思います(笑)このとき学んだのは、事業は「失敗の塊」だということ。最初の事業なんて、ほとんどが失敗です。いまや誰もが知ってる有名なサービスだって、数多く立ち上げた新規事業のうち、たまたま当たった1つだったりするのです。失敗したら、そこから学んで挑戦を繰り返すだけ。一方で、世の中には絶対に失敗しない歩き方もあります。自分で考えず、自分で決めず、優等生として言われたことだけやっていれば、失敗のしようがありません。その代わり、給料が劇的に上がることもない。ベンチャー企業での仕事は常に失敗とセットですが、当たればリターンも格段に大きい。猛烈に働いたし大変な思いもしましたが、何物にも代え難い最高に面白い経験でした。

『ベビーカレンダー』立ち上げの原動力となった、忘れられない過去。

ベネッセ時代の経験で、今でも深く後悔していることがあります。それは、雑誌事業『たまひよ』の事業転換にチャレンジしなかったこと。『たまひよ』は1993年の誕生以来、ベネッセの顔ともいえる主力事業に成長していました。『ウィメンズパーク』を事業化した私に、『たまひよ』の次世代の展開を経営が期待してくれたのでしょう。売上・利益ともに絶好調だった同誌の事業責任者を任されたのです。でも結局、私は事業転換には手を付けませんでした。当時の私にとって、雑誌事業からインターネット事業への転換は未知の領域だったし、何より業績好調だった事業にメスを入れることに、恐れを感じてしまったのです。これは本当に一生の不覚。あのとき、たとえ一時期は赤字にしてでも、事業転換に着手すべきだった。先輩たちが何代もかけて築き上げてきた伝統を前に、変革を起こす勇気が持てなかったんですね。

この経験があったからこそ、ベビー領域のメディアにどうしても取組みたかったんです。『たまひよ』は妊娠・出産・育児に関する価値ある情報を提供している雑誌です。一方、「インターネット」で本当に信頼できるコンテンツを発信している会社は、ベビーカレンダー以前にはなかったのです。「なんだか世の中おかしくなっているなぁ」と、危機感を覚えていました。過去にキュレーションサイトが問題になりましたが、今でもネット上には、中身のない、勘違いしそうな情報が氾濫しています。だからこそ弊社は、専門家が監修した信頼のおける情報を、きちんとユーザーにお届けしたい。それでも、わからないことがあれば個別に相談できる環境を提供していきたい。さらに、刺激的な情報ばかりが取り上げられるインターネットの現状にも問題を感じています。たとえば日本では昨年、94万人の笑顔の赤ちゃんが生まれています。しかし、そんなことを伝えるニュースは皆無です。逆に、「子どもを生みません」とか「結婚しません」とか、極端な話題ばかりが取り上げられて、大多数の人々の話題が、スルーされてしまっているのです。インターネットが好きだからこそ、この状況は、あまりに寂しい。多くの人の幸せなニュースに、もっと自然にスポットが当たるような、「やさしい」世界にしていきたいですね。

株式会社ベビーカレンダー 代表取締役社長 安田 啓司さんクックパッドへの転職から、現在にいたるまで。

2013年にベネッセを退職し、クックパッドへ転職しました。きっかけは、当時の社長だった穐田誉輝(あきた・よしてる)と話をしたからでした。穐田とは、彼がカカクコムにいた当時からの付き合いで、2000年代の前半には、クチコミサイトで世の中を便利にしたいという共通の志を持つメディア仲間で定期的に集まり、情報交換やイベントを行なっていました。私がクックパッドにジョインしたのは、これから同社が料理分野の枠を超え、あらゆる生活領域のビジネスへ進出しようというタイミングでした。ひと通りクックパッドを理解したあと、料理から生活領域に拡大するための新規事業を検討し、事業化していきました。そのひとつが、後に代表を務めることになるクックパッドベビーの事業へと繋がっていきました。2017年、世間を騒がせた社内の御家騒動があり、当初の新規事業は役員の退任とともに散り散りになっていきました。私はクックパッドベビーを事業譲渡することで産院様向けの事業を引き継ぎ、社名をベビーカレンダーに改めることとなりました。

時代やマーケットが変化しても普遍的なもの。

いわゆる「優等生」が良しとされた時代から、「多様性」や「個性」が歓迎される自由な時代へと変わってきました。むしろ今は、優等生の対称にあるような人材にこそスポットが当たるようになり、インターネット時代にマッチした発想ができる人の市場価値は、ますます高くなっています。インターネットの最大の特徴は、「時間」と「場所」を超えること。この原理原則をきちんと押さえて価値を創出できるビジネスは、大ブレイクの可能性が高くなります。ここ数年は特に、インターネットでビッグビジネスになった人々が、次々と生まれていますね。彼らが成功した要因は複数ありますが、「時間」を超え「場所」を超え、価値が最大化されていく事業を実現したという一点において、共通してインターネットビジネスの原理原則を押さえています。時代やマーケットの変化とともに、いろんな人材がフューチャーされますが、そこには必ず本質が見えてきます。原理原則というのは王道で、普遍的なものだからです。

この原理原則を体現して魅せてくれたのが、私の人生を通じて出会えた、最も心に残る偉大な人物でした。まず1人が、ベネッセコーポレーション創業2代目の、福武總一郎(ふくたけ・そういちろう)。彼の未来を見通す先見性と想像力は抜群で、10年でも20年でも、成功するまでやり続けるような凄まじい男です。もう1人は、カカクコムの社長だった穐田誉輝(あきた・よしてる)。彼の人や事業を見る目は、もはや群を抜いています。たとえ大きな利益が見込めても、人々の生活の役に立たない事業には投資しないという美学を貫いています。私が最も影響を受けたこの2人に共通するのも、物事の本質、原理原則を見抜いて行動していることなのです。

株式会社ベビーカレンダー 代表取締役社長 安田 啓司さん若い人にこそ伝えたい、成功する人の共通点。

目の前に転がっている仕事に対して、「私がやります!」と積極的に手を挙げる人は、のちに大きく成長しています。もっと直接的に表現するなら、収入も地位も、どんどん上がっていきます(当然、センスは必要ですが)。仕事って、目の前に転がっているんです。それがまず、見えるかどうか。次に、「私やっときます!」と言えるかどうか。自ら仕事を取りに行く人は、他人の3倍も5倍も仕事をすることになりますから、能力も生産性も劇的に上がります。スポーツだって同じですよね。たくさん練習した人が上達するのは当然のことです。事実、私が新人だった頃、同期のなかに誰よりも仕事を拾いに行く2人がいました。彼らは今、見事に出世して役員になっています。2人とも、最初から将来の成功を意識して手を挙げていたわけではないでしょう。単純に、仕事を任されたほうが成長できるし面白かったからです。目の前に落ちている仕事に対して見て見ぬふりをする人は、残念ながら地位も収入も上がりません。ちなみにクックパッドの社員は、全員が仕事を拾いに行きましたよ。もはや手を挙げない人がいないほど、高い競争率でした。そりゃあ会社も伸びるわけですよね。

安田社長が志す、今後の展望。

2020年までに、『ベビーカレンダー』を業界No.1のメディアへと成長させていきたいと思っています。将来的には、プレママから1歳児のママを対象とした現在のサービスから、より幅広いユーザー層に広げていければと考えています。また、日本は少子化まっしぐらですが、アジア各国に目を向ければ、数千万人単位の赤ちゃんが毎年生まれています。今後は海外進出も積極的に仕掛けていきたいですね。

より長期的なチャレンジとしては、「新規事業を成功させるコツ」を、体系的に説明できるようになれたら本望です。特にインターネットの事業は、言語化するのが非常に難しい。サイトやサービスの事業化を成功させた人たちの多くは口下手で、その真髄をうまく伝えられていないことが多いように感じます。私自身、インターネットの特徴にマッチしたビジネスを模索し、手がけた仕組みがヒットしたことが成功体験になっていますが、まだうまく人に伝えることができていません。

世の中に新規事業の募集は山ほどありますが、私がそうだったように、未経験者がやると必ず失敗します。多くの場合、物事の原理原則に合っていないことを無理やり進めることが原因なのですが、これがなかなか伝わらない。よくある例でいうと、女性向けのプロモーションは、「新サービスができました!」という告知ではなく、「あなたのこんな悩みがこれで解決できます」…というアプローチでなければ効果がないんです。しかし不思議なことに、誰もが同じような過ちを繰り返します。自分がサービスを提供する側にまわった瞬間、多くの人が顧客視点を見失ってしまうのです。せっかく生まれたインターネットというイノベーションを、世の中をより良くするために活用しない手はないですから、その本質を伝えていくのが、私の次なる使命かもしれませんね。


◆ 編集後記 ◆

今回の取材を機に、『ベビーカレンダーアプリ』をダウンロードしてみた。出産予定日、または赤ちゃんの誕生日を設定すると、そのスケジュールに沿って、ベストなタイミングで必要な情報が閲覧できるようになる。いつかは自分もママになるだろうと考える女性は多いが、妊娠や出産、育児に関する知識を万全に備えて〝そのとき〟を迎える人はそう多くはないだろう。そんな女性たちにとって、いざ妊娠したらアプリひとつで信頼できる情報にアクセスできるのは、非常に心強いはずだ。インターネットの特性をフルに活かした心温まるサービスを、無料で享受できる時代に生きているというのは、改めて幸運なことだと思う。

さて、安田社長。「若い人の心に刺さるような、尖った記事にして欲しい。僕は嫌われても構いませんから」と笑う。彼はインターネット以前のパソコン通信の時代から、20年以上にわたってこの世界を見てきた方だ。初期のインターネット界隈は、いわゆる「変な人たち」がひしめく特区だったという。ひたすら熱中しているうちに、企画・プロモーション・サイト制作・運用まで、すべてを一人で完結できるプロたちが続々と輩出されてきたディープな世界。今やすっかり分業化されたことが、業界人材そのものが弱体化した原因のようだ。わかりやすいのが、テスト専業とか、コーディング専業の企業として上場してしまうケース。そこで働く従業員にとって、上位工程から下位工程に流すときのルールやマニュアルなど、分断された目の前の作業のみが関心事となり、そこには本来あるべきビジネスのゴールは存在しない。安田社長にとって、インターネットが産業になってしまったことに一抹の淋しさを覚える光景だという。一方、ベンチャーで働けば、ビジネス全般に丸ごと関わり、ひとつのゴールに向かって皆で突き進んでいく醍醐味が得られる。もちろん、チャレンジすれば失敗もするが、それも含めてベンチャーの面白さなのだろう。若い人にベンチャーで働く魅力を本気で伝えたいという社長の想いが、ヒシヒシと伝わってきた。

これからの時代、市場価値の高い人材を目指すなら、ベンチャー企業への就職は確かに近道かもしれない。分業化が進んだ大企業では、そこそこの入社年次になっても、単なる担当者レベルで無為に時を過ごしてしまうリスクは大いにある。若いうちから責任あるポジションを任され、1人で複数の仕事にチャレンジできる環境は、心身ともにストイックさが求められる一方、実力のつくスピードは圧倒的に早いだろう。この記事を読んで、少しでもベンチャー企業に興味を持っていただけたら嬉しく思う。

取材:四分一 武 / 文:アラミホ

メールマガジン配信日: 2018年11月13日