株式会社MAKERS(本社:東京都渋谷区)は、自社のフィットネス&ケアブランド「uFit」を展開するファブレスメーカーである。運動後のセルフケアに使用するマッサージガンを中心に、「身体を動かすこと」にまつわる人々の健康増進をサポートする、各種プロダクトの企画・開発・販売を行っている。読者の中には、オードリー春日氏がブランド新アンバサダーとして出演しているテレビCM「uFit RELEASER」シリーズをご覧になった方がいるかもしれない。ブランド誕生から5期目を迎えた今、4年連続の増収増益を実現している同社。数ある競合商品のなかで、なぜ「uFit」が人々に選ばれているのか?本稿では、創業者である林慧亮氏の人生を時系列で追いながら、同事業の立ち上げに至った経緯や想い、昨今の急成長の理由について、詳しく紐解いていきたい。

株式会社MAKERS 代表取締役 林慧亮さん1,000名以上のトップアスリートに愛用される信頼のケアブランド。

私たちは、日本人の課題である「平均寿命と健康寿命の10年の差」を解決するために、“だれもが健康に意識を向け、予防が当たり前の世界をつくる”をビジョンに掲げ、自社のフィットネス&ケアブランド「uFit」を運営しています。ブランド名は、「一人一人に(You)適した(Fit)方法で健康を支えたい」という想いを込めて名付けました。ブランド誕生から5期目を迎えた今、運動後のセルフケアに使用するマッサージガン「uFit RELEASER」を中心に、1,000名以上のアスリートに愛用されるプロダクトへと成長することができました。ブランドアンバサダーの水谷隼さんを筆頭に、川崎フロンターレなどのJリーグチーム、B1リーグ所属のプロバスケットボール選手とも提携を結び、トップアスリートをコンディショニングの面からサポートさせていただいています。また、自社で運営するWebメディア「uFit media」では、健康に関する本質的な情報を発信しており、ときにはプロアスリートと協力しながら、人々に予防の大切さをお伝えしています。

スポーツとの長い関わりは、小学生時代のバスケから始まった。

生まれは山梨県甲州市です。3歳上の兄の影響で、小学生からバスケを始めました。スポーツは得意なほうで、小学生時代は関東大会出場、中学時代は県選抜、バスケ推薦で進学した高校では国体選手として、一応ずっとエースでした。一方で勉強は、高校3年生で部活を引退してから初めて本気で取り組んだタイプです。私の両親は教員でしたが、家庭で勉強をしいられたことは一度もありませんでした。宿題もやらずに、伸び伸びと過ごした少年時代でしたね(笑)。

高校進学を前に、自分の意思でアメリカ留学を決意する。

高校1年生のとき、米テキサス州で1年間の留学を経験しました。これは中学時代に、自分の意思で決めたことです。当時の自分を振り返ると、子どもなりに他人と違うことがしたいという欲求があったんですね。せっかく高校に進むなら、ただ漫然と3年間を過ごすなんて退屈に思えたのです。また、留学を望んだ理由には、中学時代の原体験も影響していました。フランスやオーストラリア、台湾での短期留学を経験したことで、本格的に海外生活をしてみたい、英語を話せるようになりたいと思うようになったのです。渡航先にアメリカを選んだのは、単にバスケが好きだったから(笑)。それで、現地校との交換留学制度のある高校への進学を決めました。

株式会社MAKERS 代表取締役 林慧亮さん単身テキサスへ!若くしなやかな感性で、多くの学びを吸収した。

渡米後は、カルチャーショックの連続でした。テキサスはアラスカに次いで全米第2位の面積を誇る州なのですが、そこに住む人々の身体も超デカいんです(笑)。それもそのはず…たとえばジュースを買おうとすると、最小サイズでも1.5L!みんな2~3Lのダイエットコーラを普通に飲んでいました。また、治安の良い地域ではなかったので、ときには街で銃撃戦が勃発し、外出できない日もありました。日本では考えられないことですよね。現地の高校でも、驚いたことはたくさんあります。そもそも生徒の年齢がバラバラ。同学年に22歳もいたし、そもそも自分の生まれた年を知らない生徒が何人もいました。そして、それを誰ひとり気にしていないのです。私が滞在中にお世話になった家庭では、15歳の子が既に大学に通っていました。さらに驚いたのが、高校の部活にもスポーツドクターがいること!それだけでもビックリなのに、私がある日ケガをしたとき、スポーツドクターの紹介で、サン・アントニオのNBAチームの施設でリハビリを受ける機会をもらったんです。「アメリカってすげぇ~!」…と、度肝を抜かれましたね。米国留学を経験して最も意義を感じたのは、日本における自分の置かれた環境や身近な人に対して、感謝の気持ちが生まれたことです。留学先では、私だけがたった一人のアジア人。英語も拙いし、超マイノリティーの立場ですから、周囲にうまく溶け込むために身の振り方を考えなければならないシーンがたくさんありました。日本にいた頃は、どちらかというと“お山の大将”タイプの振る舞いをしてきたので、いかに自分が恵まれた環境にいたのかということを思い知らされました。両親にはちゃんと感謝を伝えよう…そんなことを考えて過ごしたのを覚えています。

脳科学の世界に魅せられ、研究者になることを夢見た。

実のところ、大学は京大医学部を第一志望に受験しました。今の自分なら無謀な挑戦だったとわかるのですが…当時は父の入院の付き添いで母も家を空けており、進路の相談ができない状況でした(一人暮らしを1年間していました)。医学部を志した理由は、脳科学の研究者になりたかったから。中学生のときに科学雑誌『Newton』で読んだ記事をきっかけに脳科学の世界に夢中になり、その分野の専門書を読み漁っていました。今でこそ脳科学関連の本が書店に並ぶ時代になりましたが、当時は地元で目にすることはまずありませんでした。だから親に頼んで取り寄せた書籍をもとに、さまざまな学説をリアルタイムで追っていたのです。米留学後は英語も解るようになったので、原文で学説を読んでいました。受験については猛勉強しましたし、根拠のない自信満々で臨んだわけですが、結果的に第一志望合格は叶いませんでした。

株式会社MAKERS 代表取締役 林慧亮さんベンチャー企業でのアルバイトを通じて、ビジネスの面白さに気づく。

大学1年生のときに先輩に誘われて、横浜のとある企業で働いていました。今でいうところのインターンですね。その会社はいわゆるWeb広告の代理店で、クライアントに対して広告の企画や運用、コンサルティングなどを行っていました。当時はまさに、Web広告が主流になっていく転換期。10名弱の小さな会社でしたが、事業は大きく伸びていました。社員やアルバイトなどの雇用形態に関係なく、社長と横並びで仕事をするようなフラットな組織で、社長自身が楽しそうに仕事をする人でした。当時の私が手がけていたのは、主にクライアントのオウンドメディアの記事作成や運用、Web広告の効果分析や売上アップに向けたコンサルティングなど。加えて、越境EC関連の新規事業の立ち上げにも携わらせていただきました。約2年間にわたる実務を通じて、もともと研究者を志していた自分が、ビジネスによって社会に貢献すること、お金を稼ぐことの面白さを初めて知った貴重な経験となりました。

学生起業にチャレンジするも、厳しい現実を知る。

大学4年生のときに初めて起業に挑戦したのですが、これが全然うまくいきませんでした。最初に着手したのは、厳選された日本のお菓子を商材とした越境ECビジネスです。今では株式会社ICHIGOさんの成功事例があるので着眼点は良かったのですが、当時の自分には実行力がなかった…。海外顧客の獲得に苦戦するばかりで、軌道に乗せることができませんでした。それから、リブセンスの成功報酬型ビジネスモデルを、他業界に転用させることはできないかと考えました。今や当たり前となっている成功報酬型のビジネスモデルは、当時の日本ではまだ斬新だったのです。そこで私が目をつけたのが、サロンやクリニックの情報が掲載されている美容業界のポータルサイトでした。この業界の集客といえば、リクルートさんの『ホットペーパービューティー』1強でした。このマーケットに、成果報酬型のサービスで切り込めないかと考えたのです。しかし…やはり業界最大手と張り合うには、あらゆる面において無理がありました。こんな感じで私の学生起業は、あえなく撃沈…。その時点で大学5年生になっていたこともあり、現実的に就職する道を選びました。

新卒で入社した会社で、SNSマーケティングに関する知見を得る。

新卒で入社した会社では、新規事業に携わることができました。内容は、それまで社内に蓄積してきたソーシャルビッグデータや解析技術を活かして、新たにSNSマーケティング支援を開始するというものでした。当時はまだ、企業が炎上などを恐れて、SNSでの発信に及び腰だった頃です。なかにはクライアント先の担当者に頼まれ、サービス導入のために上長の方を一緒に説得するところからスタートした案件もありました(笑)。今となっては企業のSNSマーケティングは一般化していますが、その黎明期に実務に携わり、さまざまな施策を展開したことで、現在の事業に繋がる貴重な知見を得ることができました。

株式会社MAKERS 代表取締役 林慧亮さん勤務先の社長の言葉に背中を押され、独立を決意する。

「もしも失敗したら戻ってくればいい」…入社して約1年後、独立の意思を社長にお伝えすると、そう仰ってくださいました。当初は会社を辞めずに副業から独立準備を始めるという選択肢も考えていました。しかし、社長の言葉に背中を押されたおかげで、退職して起業する決断ができたのです。

フィットネス&ケア領域でビジネスを始めた理由。

「uFit」ブランドを立ち上げたのは起業して3年目。最初の2年間は、Web広告関連の業務で売上を立てつつ、事業を模索していました。ちなみに学生時代から長らくB to Bビジネスの世界にいた私は、この機会にB to C事業へのシフトを考えていました。お客様のダイレクトな反応が得られて、人の役に立っていると実感できる仕事がしたかったのです。フィットネス&ケアブランドの立ち上げに至った理由は、「好きなこと」「求められていること」「得意なこと」の3点が、うまく交差する領域だと感じたからでした。大学までバスケを続けてきた私にとって、身体づくりやケアは本来の関心領域(好き)でした。また、パーソナルトレーナーとしてお客様と接するなかで、筋トレやダイエット、コンディショニングなど、フィットネスに関する正しい情報が普及していないことや、粗悪品に溢れたホームフィットネス用品の市場にも課題意識を持っていたのです(需要)。そこで、自分が培ってきたWebマーケティングの視点を活かして、ユーザーニーズを反映させた高品質なプロダクトを創り、正しい知識と共に届けることができたら大きな価値になると考えたのです(得意)。

初めての領域で一人起業。資金繰りに悩まされる日々が続いた。

モノづくりは私にとって初めての経験。なけなしの自己資金で創業し、しかも在庫を抱える事業を選んだわけですから、資金繰りに関してハードな局面を何度となく経験しました。莫大な広告費を投入して一気にブースト!…なんて魔法も使えないので、YouTubeや自社メディアで地道な情報発信を続けたり、品質管理の改善を求めて、工場との交渉を何度も重ねたり…。ブランド立ち上げ当初から弊社はエージェントを通さず、製造においては中国の工場と直接交渉・直接契約を行ってきました。日本と中国では価値観や文化の違いもあり、特に品質管理に関する目線を合わせるまでには相当の苦労を要しました。「当たり前」の基準をいかに高め、お客様の立場に対する想像力をどれだけ追求できるか。当時はまだ一人でしたし、成功を信じて進むしかありませんでした。起業家たちの資金調達に関するニュースを羨む気持ちを抱きながら、「目の前の月商100万円さえも遠い」と感じる日々が続きました。しかし一方で、品質に徹底的こだわり、購入後のユーザー様とのコミュニケーション・デザインを丁寧に設計し、それを愚直に実践していけば、長く愛され続けるブランドになるという確信だけは揺らぐことはなかったのです。

株式会社MAKERS 代表取締役 林慧亮さんブランド誕生から5期目を迎えた今、4年連続の増収増益を実現。

おかげさまでブランド誕生から5期目を迎えた今、売上も10億円に達するところまで伸ばすことができています。これもひとえに「uFit」を愛してくださるお客様、共に走ってくれる仲間をはじめ、関わる多くの方々の力があってこそ実現できたことです。売上が思うように伸びない時期は社員の離職が続き、精神的にしんどい場面も数多く経験しました。一方で、弊社にとって飛躍の転機になったのは、No.2のメンバーがジョインしてくれたことでした。彼は大手自動車メーカーのメカエンジニア経験者なので、実に心強い存在となりました。商品開発や品質管理を彼に任せられるようになり、私が最も得意とするWebマーケティングに集中できる体制になったことは非常に大きな進歩でした。品質と販売、両輪のクオリティを担保する役割分担が社内でうまく機能するようになったことが、そのまま弊社ブランドの強みへと変わっていきました。

「ケア」の領域において、圧倒的No.1になりたい。

日常的な身体のケアは、アスリートなどの特別な人が行うもの…ケアに対する世間の認識はまだ、この段階にあると思っています。多くの人が肩こりや腰痛を抱えたまま、それを当たり前のものとして過ごしていますよね。しかし、もしも身体の不調に対して、その原因や正しいケアについて知る機会があり、日々の小さな習慣によって苦痛から解放されるとしたら…人々のQOLやパフォーマンスは、圧倒的に向上するはずです。だからこそ私たちは、自社のプロダクトやお客様とのコミュニケーションを通じて、運動およびケアの文化を社会に浸透させていきたいのです。直近の目標は、4年後までに売上100億円を達成すること。そのための第一歩として、昨年には弊社のマッサージガン「uFit RELEASER」において、管理医療機器としての医療機器認証を取得しました。これにより、疲労回復や血行促進などの効果効能が国によって認められた製品として、より多くの方に安心してご使用いただける体制が整いました。現在も商品ラインナップの充実に向け、新たなプロダクトを開発中です。私たちは圧倒的No.1のケアブランドを目指して、今後も一切の妥協のない価値ある製品を提供してまいります。

 

株式会社MAKERS 代表取締役 林慧亮さん◆ 編集後記 ◆

渋谷にある株式会社MAKERSのオフィスを訪問すると、社員の方々が温かく迎えてくださった。社内は若者が多くフレッシュな雰囲気で、なかには「uFit」のバランスボールに座って仕事をしている姿も見受けられた。さて、「uFit」のロゴ入りパーカーを着て現れた林社長は、清潔感に溢れ爽やかな印象。今回は図らずも、チャンネル登録者数34万人超の大物YouTuberに対面できる幸運な機会となった。同社は2020年の事業開始当初から、自社ブランドの完全栄養食やプロテインの製造を、障がい者が働く福祉施設に委託しているそうだ。しかも、障がい者雇用における平均月額工賃(16,507円/令和3年度)を大きく上回る平均月額工賃(7万円)の実現を目標に、障がいを持つ方々の雇用支援に取り組まれている。そこまで真摯に業界の課題に向き合う理由には、何か特別な事情があるのだろうか…?これは後に知ったことだが、林社長には、実のお父様が飲酒運転の車にはねられ植物状態になってしまった過去がある。しかも、それは高校時代の自分の部活の応援に来てくれた遠征先で起きた事故だったそうだ。その後、お父様は意識を取り戻したものの、下半身不随となり退職を余儀なくされた。この一連の壮絶な出来事について、取材時にご本人の口から語られることはなかった。当時まだ高校生だった彼が、どれほどの辛い経験をされたかを想像すると、身が引き裂かれるような想いがする。今、彼は過去の辛い経験を、社会貢献や事業を推進するエネルギーに換え、着実に前へ進んでいる。特段何かを語られることはなかったが、きっとご本人のなかには、事業を通じて成し遂げなければならない理由や信念があるはずだ。人生100年時代と言われる長寿社会において、健康寿命への関心はますます高まっていくだろう。同社の啓蒙活動を通じて人々の「ケア」の常識が変わり、「uFit」ブランドが健やかな社会の実現に一層の貢献をもたらす未来に大いに期待したい。

取材:四分一 武 / 文:アラミホ

メールマガジン配信日: 2025年1月27日