ブラッシュアップ・ジャパンは、日本で初めて「第二新卒」「既卒」に特化した人材紹介サービスを開始した企業である。一般的に、就職活動や人材採用の現場で語られる「既卒者」とは、〝大学卒業後に就職活動をする未就業者〟を指す。一方で、卒業後に就職活動をする若者のなかでも、社会人経験が3年未満程度あれば、「第二新卒」として分類されるケースが多いそうだ。秋庭社長が同社を創業した2001年は、まさに就職氷河期といわれた時代。高学歴の若者でさえ就職が困難だった時代に、なぜ就職市場において圧倒的に不利なはずの「第二新卒」「既卒」に特化した人材紹介サービスを始めたのだろうか。そこには、彼自身が学校を卒業後、就職しない「既卒者」としての2年間の経験があった。今回は、秋庭社長のユニークな過去から創業の想い、将来の展望にわたるまで、詳しくお伺いすることができた。

採用決定実績1万人以上!第二新卒紹介のリーディングカンパニー。

ブラッシュアップ・ジャパン株式会社 代表取締役社長 秋庭 洋さん弊社は若手人材に特化した採用支援サービスを提供している会社です。現在、20万人超の会員登録者数を誇る国内最大級の第二新卒就職サイト『いい就職ドットコム』の運営に加え、若年層向けの就職サポートを行うプラットホーム『いい就職プラザ』を、東京・大阪・名古屋・横浜に展開。マナー講習、会社研究セミナー、模擬面接大会など、求職者のより良い就職を支援する各種セミナーには、年間1万人を超える第二新卒者が訪れています。併せて、『20代の転職相談所』を設置し、専門アドバイザーとの個別相談や求職者の自己分析、転職先のご紹介など、20代のより良い転職を目的としたサポートも行っています。

2001年の創業時より、あくまで「正社員」の採用にこだわり、中小・大手を問わず厳しい採用基準を有する5000社超の企業様に、優秀な若手人材をご紹介し、1万名を超える採用決定実績を築いてまいりました。ちなみに弊社は、国内で最初に第二新卒に特化した紹介サービスを手がけた会社です。おかげさまで、20年近くにわたり、この分野に専門特化してきたことで、「第二新卒の紹介ならブラッシュアップ・ジャパン」と、広く認知をいただけるまでになりました。

やんちゃな高校時代のエピソード。

大阪は東大阪市の出身です。東京で言うと大田区のようなところでしょうか。勉強は飛びぬけて優秀だったわけでも、とんでもなくダメだったわけでもないと思います。高校生くらいから、ややハメを外すようになりましたかね。中学の先輩を追っかけて高校でもサッカー部に入部。公立校の中では強豪高で練習はかなりキツかったです。だいたいヤンチャなヤツらはサッカー部かラグビー部に集まるもんで、ちょっと型破りな先輩たちが多く、練習後の「課外活動」も活発でよく付き合わされました。繁華街に繰り出し、ちょっと背伸びして大人の真似事をしたり…。なんていうか、エネルギッシュな高校生でした(笑)。
学校までの道のりには、喫茶店やら何やら誘惑がたくさんあって、登校するにも時間を要したものです。部活だけ参加みたいな日もよくありました。よく言えば、自由で大らかな地域だったので、大人になって世間を知るまでは、日本の高校生はそれが普通だと思っていました(笑)。

大学にも行かず就職もせず、社会をさまよった数年間。

高校3年生の春、最後の試合に負けて部活を引退し、ちょっと燃え尽き症候群みたいな。ふとクラスを見渡すと、それまで一緒にワルさしてきた友人たちが、急にソワソワし始めてたんです。いつものように喫茶店に誘っても「やめとくわ」と一蹴。「大学に進学するから」「停学はマズイから」「内申書に響くから」なんて言うのです。私だって、ぼんやりと将来について考え始めてはいました。とはいえ、たった17~18歳にして、早くも大人たちに白旗を揚げるかのように迎合するのはカッコ悪い!そんな反骨心と淋しさから、仲間と大喧嘩になったこともあります。「いつまでもアホやってたら、将来ロクなもんにならへんぞ!」と説教を喰らわされ、抵抗派のはずだった仲間も、一人、また一人と、日を追うごとに白旗を揚げていくわけです。

いつまでも進路を決めていなかった私は、ある時先生から呼び出されました。勉強は嫌いだったので大学にはいかない旨を伝えると、求人票の入ったファイルを渡され、そこから就職先を選ぶように言われました。パラパラめくってみたところで、特に名の知れた企業もなければ、興味を持てる仕事もない。そもそも、なんでこのファイルの中から人生を決めなアカンねん!とバカらしくなり、「やめときます」とファイルを突き返すとエライ叱られた。「進路も決めずに卒業するなんて許されると思ってるのか」とか、「ロクな大人にならない」とか(笑)。
でも結果的に、就職もせず大学にも進学せず、卒業後は予定真っ白の日々が始まりました。毎日犬の散歩をしたり、繁華街をプラプラしたりパチンコをしたり…。そんな生活が、1年間ほど続きました。高校時代の友達からは、「お前は気楽でいいな」と言われました。

そんな状態の私を、親父は咎めることもなく静観していました。「男は30歳までに人生を賭ける仕事を見つけたらいい」と考えていたようです。まぁ、小遣いをせびるようなことはなく、短期アルバイトなんかをしながら“自立”はしていましたし。ただ、根は真面目なもんですから、「このままでは、街のチンピラみたいになってしまう?!」と、健全な危機意識は持っていました。そのことを友人に相談すると、「お前、もうなってるよ」と強烈なツッコミを受けまして、改めて自分の姿を鏡で確認してみたのです。そこに映っていたのは、あやしい小豆色のジャージを着た、左前歯のない男(事情があり欠損)。チンピラと大して変わらないことを自覚した、18歳の或る日でした。

一念発起してアメリカへ。資金を貯めるため、バイトに明け暮れる。

ブラッシュアップ・ジャパン株式会社 代表取締役社長 秋庭 洋さんこのままではあかん…。かといって、中途半端に就職しては人生がしぼんでしまう。それで、19歳の9月に、アルバイトで稼いだ65万円でアメリカに飛びました。その当時、高校を辞めて渡米した友達がロサンゼルスにいたのです。「お前、暇ならこっち来いよ!」と呼ばれたことがきっかけで、いろいろ計算した結果、最低60万円ほど貯める必要があったのです。そこで、ミナミの飲食店で本気のアルバイトを開始。このとき、自分のなかで大きな発見がありました。明確な目的があると、人って一生懸命働くんです。皿洗いや盛り付けなど、別に楽しいことではありませんが、「目標貯金額」「期限」という具体的なゴールがあると、時給も上げたいから熱心に働きます。すると、「秋庭くん、うちの社員にならないか?」なんて、店長から提案されるのです。働くということに対する最初の気づきを得たのは、このときの経験だったと感じています。「就職」や「働く」ことの先に、自分の叶えたい夢や目的があると、どんな仕事だって意欲的に取り組むものなんです。

念願の渡航先で、人生の転機に巡り合う。

さて、人生初の飛行機と海外渡航。せっかくなので友達と、2~3ヵ月かけてアメリカを1周しました。旅の途中で泊まったウィークリーアパートで、私の人生に転機をもたらす不思議な体験をしました。なんと偶然にも、廊下に『リクルートの軌跡』という本が落ちていたのです!日本にいたら、絶対に手に取らないビジネス書です。偶然にも海外にいて、お金はない、時間はある、TVを観ても理解できない…。そんな状況だったので、その本を3回くらい読み返しました。確かリクルートのエース社員のインタビューで、その成長の秘密を探るみたいな内容だったと思います。読後の自分に、大変革が起こった感覚がありました。それまで私にとって「働く」ということは、人生の一部を会社に切り売りすること、嫌でも会社に従うことだと思っていました。朝の通勤電車に乗るサラリーマンが、まるで修行僧のように見えていたのです。しかし、その本に登場する人たちは、みんな揃って輝いていた!「30歳で起業するための修行だから、仕事はラクじゃ困る」…なんて書いてあるんです。かっこいいなぁ~と思いました。アメリカのスケールに触れて、舞い上がっていたんでしょうね。帰国したら自分もリクルートに入って、将来は会社を作って社長になる!そう決意しました。業界も仕事内容も知らぬまま、とにかくリクルートに入ればカッコよく働ける、将来は社長になれると思い込んで、居ても立ってもいられないほど興奮したのを覚えています。帰国当日、仲間が空港まで迎えに来てくれました。旅の感想を聞かれた私は、「色々あって、俺は将来、社長になる!」と堂々宣言。「…お前、なんか悪いモノでも食べてきたんか?」と、おでこに手を当てられました。「高卒でプー太郎で、そのうえ前歯もない。無理に決まってるやろ!」散々な言われようでしたが、それでも私は、「そんなん、やってみないとわからん」と、どこ吹く風でした。

帰国して1週間。新聞を見ていたら、なんとリクルートの求人を発見!月給制の契約社員、企画営業職の募集でした。もちろん「企画」も「営業」も何のことやらチンプンカンプン。ただ、この会社で働けば社長になれる。運命を確信し、嬉々として面接に向かいました。選考は、自己評価では手応え抜群。ところが、1週間後に何かの手違いで不採用通知が送られてきたのです。すぐさま採用担当のNさんに電話。「不採用通知が、私のもとへ間違って送られてきております」と、丁寧にお伝えしました。この手の問合せには慣れているのか、Nさんは「お調べいたしますので、少々お待ちください」と、電話口で時間をおいた後、「申し訳ございません。今回は、ちょっとご縁がなかったようで…」と、丁重に回答してくれました(笑)。

念願のリクルート潜入から、人材業界の道へ。

はて?自分はなぜ、選考に落ちたのだろう…?あらゆる原因分析をした結果、若干の心当たりがありました。面接会場で私だけがスーツを着ていなかったことや、左の前歯がなかったことなど。ならば、それらをすべて改善したうえでもう一度、いや、合格出来るまで受けることに決めました。そして2度目の応募で見事一次選考を通過!差し歯の効果は絶大です。大阪支社で二次面接を担当いただいたTさんが、身の丈知らずに社長になりたいという私のことを面白がってくれ、念願の入社まで漕ぎつけたのです。リクルートで過ごした約2年間は、若干20歳だった私にとって、お給料をもらいながら通えるビジネス専門学校のような感覚で、実に刺激的な場所でした。とにかく面白くてスゴイ人が多かった!私と同様のルートで入社してきた型破りな人たちが、たとえば東大卒のエリートよりも断然成績を上げていたり。正社員と契約社員の区別なく実力勝負でしのぎを削る風土で随分と鍛えられました。リクルートで数年の経験を積んだら、起業するのが普通の文化だったので、私も23歳のときに大阪の西天満で、仲間と企業の採用支援の仕事を始めました。バブルの前兆だった当時の就職マーケットといえば、完全なる売り手市場。企業から500~1000万円の予算をいただいても、思うように採用出来ないのです。「もう広告をいくら出しても無駄だ。秋庭くんに500万円預けるから、いいひとを連れて来てよ」と、言われるような状況でした。そしてその2~3年後、縁あって同じようにリクルートを退職した仲間たちと、共同で会社を経営することになります。人の出会いというのは本当に面白いものですね。

会社の成長と共に、見逃せなくなった自己矛盾。

1993年の設立当初、10名以下で始めたその会社は、紆余曲折を経ながら、私が2001年に独立する頃には、100名を超える規模へと成長していました。

当時、専務だった私はもはや見逃せないほどの〝自己矛盾〟を抱えていました。社会人になる前は、「学歴なしのプー太郎」だった自分が、クライアントであるベンチャーや中小企業の社長に、「6大学クラスの人材を狙って採用しましょう!」「ぜひ優秀な上位校学生を」などと提案することに、30歳を過ぎた頃から、自分の生業(なりわい)と生き様がリンクしていないことに、ある種の居心地の悪さを感じるようになっていたのです。そもそも中小企業やベンチャーに、高学歴人材の採用にこだわる必要があるのか…?人材の採用は、何かもっと別の基準で行われるべきではなかろうか…?そんな想いが、大きく膨らんできたのです。別に、落ちこぼれを救いたいなんて思ったわけではありません。私が支援したいのは、何かの事情で最初の就職にコケてしまったり乗り遅れてしまっただけで、チャンスがあれば活躍できるはずの若者たちです。当時の私のように(笑)。リクルート時代に、学歴などに関係なく、実力主義のなかで活躍する人たちを目の当たりにしてきたので十分に勝算はありました。そして、32歳のとき、ついに独立へと舵を切りました。当時は就職氷河期と呼ばれた時代。一流大学を卒業した人でも就職が難しいのに、「既卒者」の正社員就職支援なんて成り立つはずがない。しかも、成功報酬型のビジネスモデルなんて、絶対にムリ!「気は確かか…?」と、皆に大反対されました(笑)。会社が最も成長するタイミングで出ていく形となりましたが、私らしい価値を、やっと社会に提供できるといいますか、原点に立ち戻ったような感覚でしたね。

未来を担う若者の、「いい就職」を支援するために。

ブラッシュアップ・ジャパン株式会社 代表取締役社長 秋庭 洋さん当時はまだ、世の中に「既卒者」という言葉の認知さえなかった時代。未就業の若者に特化した人材紹介サービスは業界初の試みで、最初は苦労しました。ようやく軌道に乗ったのは、設立から1年ほど経った頃。数回の面接だけで採用を決めるのではなく、約2週間の「体験入社(インターンシップ)」の仕組みを導入したことで、採用成功事例が増えていきました。設立当初、就職環境が厳しかったために、卒業までに内定を得られなかった若者が世間に溢れていました。それに巣食うかのように、日雇い労働や短期の派遣労働を斡旋する会社が急成長していました。確かに短期の仕事は、新卒で就職するよりも、一時的には高い報酬が得られます。しかし、彼らの未来に繋がる知識やスキルを蓄積できるような選択肢ではありません。案の定、後に大きな社会問題となりました。

当時から弊社には、可能性に満ちた若者たちが就職相談に訪れていました。事業としては「人材紹介サービス」ではありますが、設立の経緯もあり、企業と求職者の間に立つというより、軸足を極端に求職者側に置いているのが弊社の特色です。「派遣で人を回してほしい」「契約社員なら採用する」といった企業からの問合せや、いわゆるブラック企業などの求人は、設立当時からすべてお断りしてきました。未来を担う若者の「いい就職」には、徹底的にこだわってきたという自負があります。

秋庭社長が描く、ブラッシュアップ・ジャパンの未来。

現在は、就職先に困るような時代ではなくなりました。一方で、就職や転職の相談に訪れる若者は、変わらず増え続けています。なかでも転職を望む20代は、特に多い印象です。現状の弊社では、彼らに対して就職・転職の支援しかできませんが、実はもっと、彼らの選択肢が拡がるような提案ができても良いのではと感じています。例えば、ご縁があって度々足を運んでいるカンボジアの村で、3か月くらい生活してみたら?…というような提案です。というのも、今の多くの若者が、視野が極端に狭くなっているというか、誰かが誰かの都合で作り上げた窮屈な枠組みの中で生きさせられているように感じるときがあるのです。確かに、現職を辞める前に次の仕事を決めたほうが良い人もいるでしょう。一方で、一度リセットの機会を設け、そこから進路を決めたほうが、本当の意味で人生の転機になるのではと感じるケースも多々あります。海外渡航じゃなくてもいいんです。たとえば、国内の離島でもいい。地方の農村でもいい。自分の身を置く場所を大きく変えることで、見える世界はきっと変わるはずです。いろんな人や価値観に触れることで見聞を広め、自分の生き方や働き方を、じっくり見つめ直す機会を持つことは、豊かな人生を歩むうえで大きな力になるでしょう。我々の世代の多くは、大学4年間を通じて、そのような経験を十分にしてきた傾向があります。しかし、今の若い世代は、さまざまな選択肢の存在も知らぬまま、社会人になっているケースが多いように感じるのです。就職活動も妙にテクニカルなものになって、若いうちから計算高いというか、なんだかソツがないというか…。現代は寿命も延びていますし、無理に転職を急ぐ必要はありません。さまざまな経験をしたあとの再就職でも、決して遅くはないはずです。

カンボジアへ行くと、まるでタイムスリップをしたかのような感覚になります。みんな貧しいけれど、なんとも言えないエネルギーが、町中に漲っているんです。ちょうど戦後の日本が、あんな感じだったのでしょうか。学校も出ていないような若者たちが、貪欲な野心をもって逞しく生きているわけです。一方で、日本は豊かで清潔な国。なのに、下を向いて歩いている人が多いですね。弊社の若手コーディネーターたちも、現地へ行くと感化されるのか、帰国直後は輪をかけてエネルギッシュになります(笑)弊社に転職相談に訪れる若者にも、このような価値ある経験をして欲しくて、日本の若者に無償提供する「BBハウス」という宿泊施設をシェムリアップという街に設け運営をしています。

結局、価値観というものは、自分が感じたことや体験したこと、そして実感したことの中でしか持ち得ないのではないでしょうか?間違いなく私はそのタイプです。50歳を越えたいま、生き様と生業が一致することほど愉快なことはないと、周りの皆さんに感謝しています。今後も、ビジネスエリートと言われる方々が考えもつかないサービスや価値を社会に提供して行ければと思います。


◆ 編集後記 ◆

関西人はズルいなぁ…。秋庭社長の取材は、そのユニークな少年時代のエピソードに始まり、終始「笑い」が止まらぬまま、あっという間に時が過ぎた。

さて、人手不足が深刻化するなか、「第二新卒」という貴重な人材は、今や多くの企業が求めている。2001年の設立当初から、この分野に専門特化してきたブラッシュアップ・ジャパンは、どこより多く積み上げてきた実績により、確かな信頼とポジションを築き上げている。しかし、秋庭社長が起業した当時は、一流大学を卒業した人でさえ内定が得られないほどの就職氷河期ド真ん中。いったい誰がこんな未来を想像できただろうか。そこには秋庭社長の、厳しい就職戦線に惑う若者に対する深い「洞察」と、日本の未来を担う若者を支援したいという大きな「愛」があった。

今、入社後に短期間で離職に至る若者は少なくない。しかし、彼ら第二新卒者は、決して「辛抱の足りない若者」ではないという。そもそも社会人経験のない彼らが、本当に自分に合った職場を選択することは簡単なことではないのだ。彼らのなかには、高い意欲を持ち、ひたむきに仕事に取組み、必要とされる職場で、輝かしい未来をつかみ取ろうという若者が数多く存在するそうだ。人生は決して短距離走ではなく、先の長いマラソンレースのようなもの。社会に出るにあたり、少しばかりつまずいたとしても、起き上がって、何もなかったように走り出せばいい。そのような若者に対する温かい眼差しと、彼らをサポートする仕組みが日本社会にあれば、確かにもっと明るい未来が見えてくるはずだ。たとえドラフト1位でスタートできなかったとしても諦める必要がないのなら、人は未来に希望が持てるものだ。次代を担う若者の未来が光り輝くキッカケを提供することで、光り輝く日本の未来に貢献する…。「ブラッシュアップ・ジャパン」という社名には、そんな想いが込められているそうだ。いつの時代も、社会を変えるのは若者の存在だ。彼らの可能性が弾けるように輝く未来を創造していく、同社の今後が非常に楽しみだ。

取材:四分一 武/文:アラミホ

メールマガジン配信日: 2019年12月9日