株式会社スカイマティクス(東京都中央区)は、地理空間情報(GIS)×時系列情報を処理解析する「時空間解析プラットフォーム」により、あらゆる社会課題の解決に挑むテクノロジースタートアップである。2021年、経済産業省が展開するベンチャー企業支援プロジェクト『J-Startup』において、日本のスタートアップ約1万社の中から、グローバルな活躍が期待できる50社に選出された。また、2022年3月1日、第三者割当増資により、総額約13億円の資金調達を実施。これにより、累計調達額は約29億円となり、さらなるサービスの強化・販売拡大、人材採用を促進している。さて、飛ぶ鳥を落とす勢いで成長を続ける同社だが、創業者の渡邉氏とは、いったいどんな人物なのだろうか。今回は、彼の幼少期や学生時代まで遡り、そのユニークな人物像や興味深いエピソード、創業の想いや哲学に触れることができた。本稿を通じて、同社が実現しようとする新たな世界を、読者の皆様にも垣間見ていただければと思う。

※GIS(Geographic Information System)… 地理情報とその付随情報をコンピュータ上で管理および処理するシステム

株式会社スカイマティクス 代表取締役社長 渡邉 善太郎さんリモートセンシングで新しい社会を創るディープテックカンパニー。

私たちは、「リモートセンシングで、新しい社会を創る」をミッションに掲げるテクノロジースタートアップです。「リモートセンシング」とは、離れた場所からセンサーを用いて観測し、対象を調べるテクノロジーのことです。当社では、リモートセンシングで取得した情報を、地理情報システム(GIS)技術によりWeb上に再現し、時系列情報を組み合わせることで「時空間解析プラットフォーム」を構築しています。組織の半数がエンジニア、宇宙業界・GIS業界・AI業界出身者で構成される、リモートセンシングサービスのプロフェッショナル集団です。日本のスタートアップにおいて、その技術を活用している企業は他にもありますが、この分野で全てを内製化し、ゼロイチの技術開発から行っているのは当社ぐらいではないかと思います 。

私たちのサービスの本質は、テクノロジーの力で、「見えないものを、見えるようにすること」にあります。人間の行動や意思決定は、その80%が視覚から入る情報をもとになされると言われています。つまり、私たちが適切な行動や意思決定を行うためには、より正確な視覚情報が必要になるわけですが、肉眼で見えるものには限界があります。たとえば、人間は24時間365日、ずっと起きていられないという時間的な制約。そして、視覚外の対象を認識できないなどの空間的な制約。さらに、複数の事象を同時に認識すること、過去の出来事をすべて記憶し、比較することができないという能力的な制約です。これらを一手に解決する技術が「リモートセンシング」であり、私たちが提供する「時空間解析プラットフォーム」です。

当社のサービスは、創業者である私自身のとある想いから始まっています。それは、テクノロジーを通して、「社会を黒子として支える人を、その黒子として支えたい」という強い意志です。私たちが生きる社会は、農業、測量、防災分野など、人々の生活を根底から支える働き手の方々のおかげで成り立っています。しかし一方で、そのような業界は、社会を縁の下で支える重要な役割を担っていながら、いわゆる3K(きつい・汚い・危険)などと呼ばれることも少なくありませんでした。我々の技術を活用することで、これまで彼らが現地に足を運ばなければ得られなかった情報や、肉眼では見えなかった情報、さらには新たな視点まで提供できれば、そのような業界の常識を劇的に変えることができると確信しています。業務効率や快適性の向上、危険の回避はもちろん、人々の意思決定や行動そのものを変え、新しい社会の創造に貢献すること。それこそが、創業当初から変わらない我々が目指すゴールです。

株式会社スカイマティクス 代表取締役社長 渡邉 善太郎さん産業界にインパクトをもたらすプロダクトやサービスの開発を追求する。

私たちがこだわっているのは、自社で開発するすべてのプロダクトが「日本初」、あるいは「世界初」であることです。エッジの効いたテクノロジーとビジネスモデルこそが、あらゆる産業の課題を根本から解決し、ひいては世界を革新できると考えているからです。たとえば、農業業界向け葉色解析サービス『いろは』、測量・点検業界向けドローン計測サービス『くみき』、AI礫判読システム『グラッチェ』、クラウド型地図表現自動化サービス『SEKAIZ(セカイズ)』など、私たちが提供するクラウドサービスはすべて、業界のパイオニアとして、圧倒的な価値を創造することを目指して開発を行ってきました。なぜ自分たちがその製品を開発するのか、なぜその機能を実装するのか、どんな価値を提供したいのか、どのような形式で提供することがお客様にとってベストなのか…。私たちの製品やサービスが各産業の現場において欠かすことのできない価値をもたらし、普及していくためには、現場に何度も足を運び、お客様とともに課題に向き合い、膨大な数のトライ&エラーを重ね続ける泥臭さが必要です。製品・サービスを徹底的に磨き上げたうえで、開発にまつわるストーリーとともにお届けすることで、お客様や社会から、熱い共感が得られるような存在であり続けたいと思っています。

好奇心のままに、理数の世界に入り浸った子ども時代。

愛知生まれの岐阜育ちです。両親によると、私は子どもの頃から相当変わっていたようです。自分の好きなこと、興味のあることには異常なまでに熱中する一方、関心のないことには見向きもしない。そんな極端なタイプの少年でしたね。幼い頃から私にとっての興味といえば、いつも理系の世界にありました。得意科目は数学。授業中に出題される問題は、だいたい先に解答が見えていました。ときには先生の解き方にイチャモンまでつける、小生意気な生徒でした。先生の数式の解き方が美しくないと、どうも納得がいかなくて…(笑)。それから理科も大好きでした。私が後にテクノロジーの業界に入るきっかけになったとも言える、今でも忘れないエピソードがあります。確か小学3~4年生の頃のこと。当時の私には、どうしても研究してみたいテーマがありました。きっかけは、ある日の理科の授業で「太陽光」に関する知識を得たこと。「太陽の熱は物に当たると反射したり吸収されたりする」「熱が物に吸収されると物の温度が上昇する」「黒は他の色に比べて熱線をよく吸収する」…などなど、太陽光の性質について知った私は、それが真実なのかどうか確かめてみたいという衝動に駆られたのです。そんな私に、当時の理科の先生が素晴らしい機会を与えてくださいました。なんと夏休みの1ヵ月間、私のために理科室を解放してくれたのです!まるで博士になったような気持ちで、私は嬉々として研究に没頭しました。常に一定の条件下で太陽光を集めるために測定装置を自作するなど、実験の精度には相当こだわっていましたね(笑)。後にこの研究レポートが岐阜県から賞をいただくことになります。こんなにワクワクすることを好き放題やって、しかも人から褒められるなんて最高だなぁ…!この経験を機に、私はさらに理科が好きになりました。自分では覚えていませんが、小学生時代の文集には、「将来は科学者になりたい」と書いていたようです。

剣道やバトミントンなど、スポーツも人並みにやりました。しかし、高校時代にバトミントンの県大会ベスト8の対戦でボロ負けしたのを機に、あっさり辞めてしまいましたね。スポーツにすべてを懸けている私立の連中に適うわけがない…そう達観したのです(笑)。それからは、数学や物理の勉強に本腰を入れ始めました。自分には勉強のほうに勝算があると判断したからです。ちなみに親や先生から、「勉強しろ」と言われたことは一度もありませんでした。むしろ先生方からは、宿題の提出さえ免除されていたのです(笑)。だから思う存分、数学や物理、化学の世界に浸ることができましたね。文系科目は嫌いだし、宿題も出さない。本もまったく読みませんでした。それより「数式」で考えたり説明したりすることが好きだったのです。高校時代の仲間とは、「ゼロはなぜゼロなのか」という話題でよく盛り上がっていたものです。

株式会社スカイマティクス 代表取締役社長 渡邉 善太郎さんクルマが大好き!将来はエンジニアになると決めていた。

高校時代には、将来の進路を決めていました。小学生の頃から、私にとってのアイドルは常にアイルトン・セナ! 部屋中に彼のポスターを貼っていた ほどです。とにかくクルマが大好きだった私は、将来はエンジニアになって、クルマのエンジン開発に取り組みたいと考えていました。それも、「熱効率100%」のエンジン!まさに夢のような話ですが、そんな究極のエンジンをこの世に生み出したいと、無邪気に思っていたのです。その夢をまっすぐに叶えるため、早稲田大学理工学部機械工学科に進学しました。大学1~2年生は、とにかく遊びまくっていましたね。3年生になったら研究室に籠ってエンジンの研究に没頭するつもりでいたので、束の間のモラトリアムを謳歌しようと思っていたのです。当時はバイト代を稼いでは、世界中を旅していました。実際のところ、バイト代では賄い切れず、毎回のように親に資金をせびっていたようですが…(笑)。 1ヵ月間の中国・ヨーロッパ放浪をはじめ、学生のうちに30カ国ほどは巡ったと思います。旅に夢中になった動機は、地図や地理が好きだったこともあり、世界中のいろんな場所を自分の目で見てみたいという好奇心でした。旅についても、人との交流を求めるというより、理系の嗜好が強かったと思います。たとえば、ドイツに行くならBMWの工場見学は外せないし、スペインに行くならガウディ建築が目的といったような感じです。また、私の旅のスタイルは、訪れた街の底辺から最高峰まで、その両極端を経験することが醍醐味の一つでした。たとえば旅先では、スラム街からダウンタウンまで、くまなく訪れるようにしていました。公園で一日中たたずんでいれば、いろんな人間を観察することができます。中国滞在中には1泊100円の格安ホテルの宿泊に始まり、最終日は5つ星ホテルに宿泊してみました(さすがに今は100円のホテルには泊まろうとは思いませんが…)。最も印象に残っている国といえばエジプトでしょうか。当時のエジプト旅行といえばツアーが一般的で、我々のようにバックパックを背負って旅する日本人は少数派でした。友人と2人で空港に着いたとき、予約していたクルマは迎えに来ないし、ホテルの行き方もわかりません。いよいよ途方に暮れたとき、私たちを救ってくれたのが日本人のツアー客でした。なんと私たちを、ホテルの近くまで連れて行ってくれたのです!改めて、日本人の親切さには感動しましたね。ピラミッドを訪れたときに受けた衝撃は、今でも忘れられません。日本がまだ稲作さえ始まっていない時代に、エジプトではこんな凄まじいものが作られていたのかと…。その構造設計には、明らかに緻密な数学の理論が活用されており、知的好奇心とロマンが大いに刺激される体験となりました。

大学3年生、想定外の「起業」を決意する。

大学3年生のとき、人生の転機に遭遇しました。…というのも、志望していた熱工学のゼミに入ることが叶わず、流体工学の専攻に進むことになったのです。エンジン開発研究の道が閉ざされたことで、私のクルマに対する熱は自ずと冷めていきました。何か別の道はないかと文系科目なども調べる中で、 『アントレプレナーを育てる会』というセミナーに巡り合いました 。現役の起業家の方々が自身の起業体験などを説明してくれる 当時としては珍しい企画でした。私は「アントレプレナー」という言葉自体、そのとき初めて知りました。2000年当時はまだ、「ベンチャー」や「スタートアップ」など、今となっては当たり前に使われている言葉がまだ浸透していなかった 時代です。そのときゲストに招かれていたのは、今や誰もが知る大企業を創り上げた起業家の面々でした。後に大きな成功を収めた方々ばかりでしたが、当時はまだ、それこそ事業の立ち上げ段階にあったのです。私は初めて「起業家」と呼ばれる人々を目の当たりにして、そのエネルギーの強さに大いに感化されました。「このビジネスで世の中を変えたい!」「社会に貢献したい!」…と、彼らは口々に語るのです。目指す未来のスケールが並外れて大きく、自らの職業を心から楽しそうに語る姿は、私がこれまで出逢ってきた大人たちと明らかに違いました。起業家って素敵だ…!それまで起業の「き」の字もなかった私ですが、その日を境に自分も起業することを決意しました。とはいえ、いったい何から始めたら良いのだろうか…?自分はテクノロジーにも明るいし、プログラミングも心得ている。しかし、「ビジネス」に関する知識や経験は一切ありません。そこで、まずはビジネスを学ぶために、商社に就職することにしました(ビジネスを学ぶなら商社が良いと勧めていただいたのです)。さて、そこからが大変でした。せっかく三菱商事から内定をいただいたものの、家族や親戚からは猛反対の嵐!なぜなら、私の母方の家系は代々、自動車メーカー及び系列の企業に軒並み勤めてきたからです(土地柄もありますが…)。親としては、私が自動車メーカー の研究職 に進むものだと信じて大学へ行かせたわけですし、私自身もそのつもりでした。しかし、人生とは不思議なものです。もしあのとき、熱工学の研究室に進んでいたら、文系キャンパスを訪れることもなかっただろうし、「アントレプレナーの会」に参加する機会もなかったでしょう。きっと今頃、私は自動車開発 のエンジニアとして働いていたのだと思います。

株式会社スカイマティクス 代表取締役社長 渡邉 善太郎さん人生を方向づける、リモートセンシングとの出逢い。

三菱商事に入社した当初から、私は35歳で起業すると決めていました。理由は、敬愛する坂本龍馬が亡くなったのがその年齢だったから。もしも35歳までに花開かなければ、自分は一生何者にもなれない…そう気負っていたのです(笑)。タイムリミットは、入社後13年間しかありません。私は将来の起業を見据えて、ITやテクノロジー関連の部署への配属を希望していました。残念ながら入社直後は叶いませんでしたが、約半年後にはチャンスが訪れました。ちょうど社内の宇宙航空機部で、「数学とパソコンができる若手が欲しい」という声があがったのです。後に私の人生を変えることになる「リモートセンシング」の世界に出逢ったのは、このときの異動がきっかけでした。1994年、それまで国防の技術として規制されてきた衛星リモートセンシング技術の一部を、民間に開放するというアメリカ大統領令が出されたことを チャンスと捉えた我々の部門は、衛星リモートセンシング技術の商用化に向け動き出しました。アメリカの企業と共同で、衛星データの販売および関連サービスを提供する会社を立ち上げたのです。 私は諸先輩方が立ち上げたこのビジネスに参画したことで、衛星データやリモートセンシング技術の価値に気がつきました。当時の衛星データといえば、北朝鮮のミサイルサイトの写真や災害時の写真など、その用途は危機管理を目的とした領域に限られていました。この技術は間違いなく、無限の可能性を秘めている…!衛星データと解析技術を組み合わせ、さらに必要な情報を的確に抽出できれば、将来的に地図づくりや農業、森林管理、設備管理など、あらゆる産業にイノベーションを起こせるかもしれない…!まだ見ぬ未来に胸を躍らせ、そこから10年間ほど、さまざまな仮説を試行してきました。しかし、アイデアを実際にカタチにするのは、思った以上に険しい道のりでした。たとえば農業の現場では、広大な農地の中でいち早く生育不良を見つけ出し、すぐに対処できれば大切な農作物を守ることができます。しかし、そもそも衛星写真では、なかなか農家さんが求める精度の生育不良 を見つけ出すことができませんでした。気になることが箇所があるからデータを撮影したいと思っても 、それを撮影するまでに2週間…。これでは、すぐに異常を発見して対処したいという農家の役には立てません。たとえば測量の現場では、対象の地形の土量を計算できるほどの解像度を、なかなか実現できませんでした。民間企業の分野で困っている人々を、リモートセンシングの技術によって助けたいと願っているのに、このままでは現場で使えるサービスが一向に提供できない…。そんな歯がゆさにもがいていた頃、出会ったのが ドローン技術でした。あれは確か、2014 年頃だったと思います。初めて自分でドローンを飛ばしたときの衝撃は今でも忘れません。それはもう、凄まじい解像度 の画像データが撮影できたのです。農地のなかの雑草の写真も、鮮明に写っていました。これはすごいことになるぞ…!そう一瞬で理解しましたが、同時に明確な課題も見つかりました。収集できる画像データの量が膨大なだけに、その管理や判読も非常に困難だったのです。これではまったく、民間企業の現場で実用できる段階とは言えません。そこから数年間は、ドローンの製造や販売、スクールを運営する新興企業が続々と増えていきました。私はその状況を横目に、もっと先のことを考えていました。ドローンが普及した先に、必ず画像解析のニーズが出てくることを見込んでいたのです。ならば最初から、「画像解析プラットフォーム」を創ったほうが価値になるのではないか…。自分のなかで点と点が結びつき、現在のビジネスモデルの着想を得た瞬間でした。私には学生時代から、社会を黒子として支えている人たちを、その黒子としてテクノロジーで支えたいという想いがありました。大学の同級生たちはそれぞれ、大手食品メーカーやコンビニなどの小売業、大手不動産ディベロッパーなどに就職していきました。いわば社会インフラをつくっている、誰もが知っているような企業群です。しかし、彼らが商品やサービスを提供するために、その裏でひたむきに頑張っている人たちの存在を忘れてはならないと感じていたのです。たとえば、農家の方々がいなければ食材の調達はできませんし、測量士の方々がいなければ不動産業は成り立たないのです。それでいて、社会的にフォーカスされることの少ないそれらの分野は、いわゆる3K(きつい、汚い、危険)などと呼ばれている業務が残っている業界でもありました。これをテクノロジーの力で4K(快適、効率的、かっこいい、稼げる)業界へとアップデートできたら、きっと素晴らしい世界になる!学生時代の想いに始まり、衛星データやリモートセンシング技術との偶然の出逢い、そして現場で直面したさまざまな課題…。これまで辿ってきた道すじが、ようやく具体的なビジネスモデルとして確信に変わったのです。

2016年、三菱商事の子会社としてスカイマティクスを創業し、2019年に現在の取締役CTOを務める倉本とともにMBO(経営陣が参加する買収)を行い、議決権の過半数を取得しました。これから先、テクノロジーが発展する速度は読み切れませんし、スタートアップが成功するには、ピボットの繰り返しは避けられません。だからこそ、トップである私が柔軟かつ迅速な経営判断を実行できるオーナーシップの会社に生まれ変わるべきだと考えました。三菱商事については、今も変わらず友好的な株主として支援を継続してくれています。

株式会社スカイマティクス 代表取締役社長 渡邉 善太郎さん渡邉社長が描く、スカイマティクスの未来。

私たちが目指すのは、産業版Googleマップのようなポジションを獲得することです。たとえば飲食店を探す際には、多くの方がグルメアプリを使いますよね。使うアプリは人によって異なりますが、地図情報はいずれもGoogleマップに集約されています。このように、ユーザーが意識せずとも我々のサービスを当たり前に使っている日常を、将来的に実現したいと考えているのです。グルメアプリの場合には、ユーザーは共通のプラットフォームを使えば目的を果たせますが、産業版のプラットフォームをつくる場合には同様にはいきません。産業ごとに必要な情報や地図は異なるため、それぞれに最適化された情報が紐づいていることが欠かせないからです。現場で働く人々が必要とするすべての情報を、我々のサービスひとつで網羅できれば、業界に革新を起こすことができるでしょう。とはいえ、ドローンやリモートセンシングの技術はまだ、一般の方々にとっては特別なもので、日常において不可欠と言えるほどの地位を獲得できていません。近い将来、これらの技術がスマートフォンと同様に普及し、人々が当たり前に活用できる未来に向けて、私たちは全デバイスに共通の画像・データ処理解析プラットフォームの開発に取り組んでいます。目指すのは、あくまでプラットフォーマーとしてのポジションです。ドローンや360℃カメラなど、人々の日常にセンサー技術が普及した先には、多くの企業があらゆる産業向けに新たなアプリやサービスを生み出していくことでしょう。そのときに我々は、グルメアプリに紐づいているGoogleマップと同様に、あらゆるサービスのコアとなる部分を網羅的に支えていきたいと考えています。誰とも競争することなく、むしろ共創していくスタンスです。自社のプロダクトの名前が知られる必要さえなく、気づいたら誰もが当たり前に使っているサービスになっていること。それこそが、「社会を黒子として支える人を、その黒子として支えたい」という私たちのビジョンを体現した形だと言えるでしょう。中長期的な視点でいえば、会社の成熟期の到来を、いかに遅らせることができるかがポイントになると考えています。そのためにも、今後少なくとも20年間は成長し続けられるようにビジネスを設計しています。たとえば、測量・点検業界向けドローン計測サービス『くみき』は2年後、AI礫判読システム『グラッチェ』は5年後、農業業界向け葉色解析サービス『いろは』は10年後といった具合に、産業が変化するタイミングを予測しながら、各プロダクトの成長時期をずらしてプランニングしているのです。もちろん、グローバル展開も最初から視野に入れています。リモートセンシングを世界一社会実装し、新しい社会を創るリーディングカンパニーとなるために、私たちは果敢にチャレンジを続けていきます。

 

◆ 編集後記 ◆

まるで夢みたいなことを、無邪気かつ本気で語る人だな…。取材を通じて、私が渡邉社長に対して強く抱いた印象だった。それは彼が学生時代に描いた、「熱効率100%のエンジンをつくりたい」という突拍子もない発想に始まり、今となっては空の世界へと領域を変え、無邪気かつ本気で、無限の可能性を追い求めている。きっとまだ、彼にしか見えていない未来があるのだろう…。スマホがそうだったように、テクノロジーが自分たちの生活に普及し、目の前の常識が変わって初めて、ずいぶん前から彼が見ていた「未来」を、私たちはようやく知るのだ。そういえば、渡邉社長にとっての永遠のアイドルだというアイルトン・セナも確か、ラジコン飛行機の操縦が好きではなかったか。上空へと思いを馳せながら、ドローンを飛ばしながら、そこにはセナと重なるロマンがあるのかもしれない…。そんなことも勝手に考えたのだった。

さて今回、ついついユニークな創業者の話題に偏ってしまった。スカイマティクス社が提供するサービスは、「リモートセンシング」とか「時空間解析プラットフォーム」とか、なんだか聞き慣れない言葉が並ぶので、具体的にサービス像をイメージしにくいと感じる方も多いかもしれない。しかし、いずれのサービスも、それぞれの産業の現場で働く人々が抱えるリアルな課題を的確に抽出し、解決に導いているという点において、実は非常にわかりやすいものだと感じた。たとえば農業業界向け葉色解析サービス『いろは』は、上空から農地を撮影して野菜などの葉色を解析することで、作物の育成管理や収量予測に役立てるサービスだ。日本の農地は飛び地が多く、特に高齢化が進んでいる農家にとっては移動も一苦労であった。そこで、『いろは』を使えば農家は自宅に居ながらPCやタブレットで作物や雑草の状況、位置情報を確認できる。価格がサブスクリプションで年間12,000円からとリーズナブルなところも、「ゼロから1を創り、1を100にし普及させる」ために、現場を知り尽くした同社の本気度が感じられる部分だ。人材採用も促進し、さらなる組織強化が期待されている今後、ぜひともベンチャースピリットを忘れずに、世界へ羽ばたく企業へと成長して欲しい。

取材:四分一 武 / 文:アラミホ

メールマガジン配信日: 2022年7月19日