BtoB向けに、経営・業務システムにおけるDX(デジタルトランスフォーメーション)推進事業を展開している株式会社テクノスジャパン(本社:東京都新宿区、証券コード3666)。同社は基幹システム(ERP)、顧客管理システム(CRM)、DX協調プラットフォームサービス(CBP)を組み合わせたトータルソリューションを強みに、顧客企業のビジネス革新に貢献し、業績を伸ばしている。今回の取材に応じてくださったのは、代表取締役社長を務める吉岡氏。1999年にテクノスジャパンに新卒で入社し、生え抜きで社長に就任した人物である。本稿では、他メディアではなかなか見ることのない、吉岡氏の学生時代や入社当初のエピソードにまで遡り、吉岡氏のキャリアと共に育んできた事業への想いや今後のビジョンについて、その人物像と共にお届けしたい。
現状、ERP・CRM・CBPを組み合わせたトータルソリューションで、DX社会を推進する。
弊社は企業様向けに、ITソリューションを提供している会社です。ERP(基幹システム)は『SAP』、CRM(顧客関係管理)は『Salesforce』など、グローバルスタンダードのソリューションを中心に取扱っており、さらに弊社独自のDX協調プラットフォームCBP(Connected Business Platform)上に展開するクラウドサービスも運営しています。CBPとは、企業間の基幹システム(ERP/CRM)を連携させ、取引やサプライチェーン全体の効率化を実現させるために弊社が開発した独自のプラットフォームです。一連のサービスのコンセプトは、標準化されたシステム(ERP/CRM)、外部SaaSソリューション群、そしてCBPを介して提供される企業間標準連携サービスがシームレスにつながり、あらゆる企業様がデータを齟齬なく柔軟に、かつリアルタイムに活用できる環境を実現すること。たとえば弊社の『CBP注文決済サービス』は、基幹業務における注文から入出荷、請求までの一連の取引を、クラウド上で統合・標準化することができます。企業規模を問わず、業務効率化やコスト削減を目指されるすべての企業様のために最適化されたサービスです。また、CBPを介することで、ビッグデータがクラウド上に蓄積されるため、現代のビジネスには欠かせない「データ活用」のニーズにも対応しています。ありがたいことに、弊社の『CBP注文決済サービス』は、2021年に経済産業省が推進する「IT導入補助金」の対象サービスとして認定されました。現在、コロナ禍におけるデジタル需要の高まりに伴い、企業のDX推進はより急務となっています。そして、昨今ではクラウドサービスの普及が進み、BtoB領域においても、ユーザーが各システムやサービスをシームレスに利用できる環境が整ってきました。近い将来、BtoB/BtoCの垣根がなくなり、BtoBtoCが連動するビジネスモデルやシステム連携が求められる社会が訪れることになるでしょう。弊社はこれらの動向を踏まえ、「ERP・CRM・CBPを組み合わせた」トータルソリューションを、企業様の経営・業務領域における「DX」として定義しました。企業・人・データをつなぎ、新たな社会ニーズに対応可能なビジネス革新をお客様と共創しながら、今後も社会の発展に貢献してまいります。
視野や知見を広げてくれた、学生時代の旅の経験。
生まれは東京、町田市です。子ども時代の記憶が薄いのですが、小学生時代は野球、中学・高校時代はバスケ部に入っていました。短距離走よりは、どちらかというと長距離走派。学校のマラソン大会でも、わりと上位には入っていましたかね。勉強は、大学受験のときに初めて真面目に取り組んだタイプです。兄が早稲田大学に合格したのを見て、「自分も行けるのでは?」…と思い立ち、部活を辞めて勉強しました。入学したのは、早稲田大学教育学部です。教員免許は取らなかったのですが、社会学や経済学、政治学など、いわゆる社会科学全般を広く学べる学部だったので、好奇心の強い自分には合っていたようです。大学時代は週に3日ほどキャンパスに通い、それ以外はバイトや遊びに興じていました。記憶に残る思い出といえば、大学3年生の夏休みに、友人と2人でヨーロッパ一周の旅をしたことでしょうか。訪れた国々のなかで特に印象深かったのは、旧ユーゴスラビアの市街でした(我々が訪れた数年後、冷戦終結後の激しい内戦とNATO軍の空爆が勃発し、国家は分離解体しています)。街を歩いて何より衝撃的だったのは、凄まじい貧富の差を目の当たりにしたこと。ハイブランドが立ち並ぶ中心街の一角を曲がれば、すぐそこの路上にはホームレスが溢れていたのです…。あのときのセンセーショナルな光景は、今でも目に焼き付いています。また、バックパックを背負って、海外一人旅も経験しました。当時の私が旅先に選んだ国はイスラエル。死海に浮かんで本を読む人の写真を見て、自分も試してみたくなったのです。しかし、いざ死海に辿り着いてみると、想定外の問題に直面しました。一人旅をしていた私には、自分が湖に入っている間、荷物を見張ってくれる人が誰もいなかったのです!当時のイスラエルの情勢は安定していたものの、やはり日本にいるのとは事情が違います。結局は荷物のことが心配で、ゆっくり浮かんでもいられなかったのです(笑)他にも、シンガポールからタイのバンコクを走るマレー鉄道に乗って、東南アジアの旅もしました。当時は沢木耕太郎の小説『深夜特急』に影響を受けて、冒険的な旅に憧れていたんですね。
学生時代のサークル活動と、印象的なアルバイトの経験。
私が大学に入学した1995年は、1月に阪神淡路大震災、3月に地下鉄サリン事件が立て続けに起こった、日本社会にとって激動の1年でした。自分にふさわしいサークルなのか見当もつかなかった私は、自分たちでサークルをつくることにしました。主にスキー仲間を集めたグループでしたが、冬以外はやることもないので、ただ集まって遊んでいるのが実態でしたが…(笑)。3年生からは一人暮らしになり、生活費を稼ぐためにアルバイトを始めました。特に稼ぎが良かったのは、大手テレビ局のアシスタント業務でした。番組制作に必要な素材をテープに録音してタイトルを付け、いつでも取り出せるように整理しておく仕事です。東京ドームの広島戦をはじめ、野球関連のバイトなども経験しましたが、あの当時のテレビ局の時給は圧倒的に高かったですね。
氷河期時代の就職活動と、テクノスジャパンに入社した理由。
私が就職活動を始めた頃の日本は、まさに氷河期時代でした。90年のバブル崩壊以降、絶対につぶれないと信じられてきた金融機関が倒産し始め、事業会社のリストラが加速。大手企業の採用枠も激減していました。その一方で、ソフトバンクやヤフー、光通信などのIT新興企業が急成長を遂げており、いま思えば歴史的な時代の転換点を迎えていたのです。
私がなぜ、この業界を選んで就職したのか…?振り返ってみると、最初のきっかけは学生時代の原体験にありました。私が早稲田大学に入学したのは、ちょうど大学のキャンパス内に「情報科学センター」が設置された頃でした。そこで初めて体験した「Windows95」の衝撃が、ずっと脳裏に焼き付いていたのです。これからは、「デジタル」や「インターネット」の時代が来る…。世界が大きく変わる予兆を、初めて我が事として実感した瞬間でした。また、当時の私は大企業に就職するより、どちらかというと「個」で勝負できるような環境を志向していました。それもあって、「経営コンサルタント」という職業や、ベンチャー企業への就職に関心を寄せていたのです。そんな折、ご縁があって出逢った企業が、ERPビジネスを展開しているテクノスジャパンでした。その当時、日本におけるERPシステムの歴史は、まさに黎明期にありました。それまで日本における「企業システム」といえば、会計、販売、生産、購買など、部門ごとに分断されていたのです。そのため、企業が経営判断をするには、必要な情報を異なるシステム間を横断して収集しなければならず、かなりの手間と時間を要しました。このような課題を一手に解決できるERPシステムの市場は、これから伸びていくだろうと直感したのです。また、当時のテクノスジャパンは創業5年目、従業員50名程度の小さな組織でした。いわゆる“スタートアップ”に近いフェーズにあったことも、私にとっては魅力でした。一方で、経営コンサルタントになる道も、非常に捨て難かったのです。最終的な決め手となったのは、採用面接時のテクノスジャパンの経営陣から圧倒的な熱意を感じたこと。あとは、心の内に生じた「強迫観念」でしょうか…(笑)。そもそも私はITへの関心が薄く、知識も経験もまったくありませんでした。もしもコンサルタントの道を選んだら、今後もITに触れる機会を逃したまま、いつか時代に取り残されてしまうかもしれない…。それなら、時代の変化の波に飲まれる前に、自ら飛び込むべきなのでは?…そんな強迫観念に似た感情です(笑)。コンサルタントは机上でビジネスを動かすようなイメージがありましたし、むしろ最新のITを強制的に学ばざるを得ない現場に飛び込んだほうが、自分の将来にとってより良い選択になるような予感がしたのです。
あまりに未熟だった若手社員時代のエピソード。
入社後は、プログラミングをはじめとした基礎的な研修から始まり、実務を通して仕事を覚えていきました。プログラムを書くこと自体、私にとっては初めての経験です。実際に手を動かしてみると、意外と「モノづくり」が好きな自分を発見しました。一方で、「テスト」の工程はあまり好きになれなかったんですね…(笑)。当然ながら、成果物が意図した通りに動くかどうかを検証するまでが一連の仕事です。しかし、未熟だった当時の私には、なかなか関心が持てなかったのです。そんなレベルのスタートですから、当時の上司にはとことん叱られましたよ(笑)。さらに入社2年目からは、意図せず開発管理の業務を任されました。チームを動かすコミュニケーションにはストレスもかかりますし、開発の現場では絶えずトラブルが発生します。もともとお客様へのコンサルティングを志望していた私は、実際に任される業務内容とのギャップを感じて、納得できない日々を過ごしていました。しかし、今になって振り返ると、実に貴重な経験をさせてもらっていたのです。その後も多岐にわたる業務を経験したことで、ERPシステムの全体像を掴むことができました。このとき現場で生まれた課題意識やアイデアが、後にCBPビジネスを生み出すうえでも大いに活きてきたのです。
吉岡社長が描く、テクノスジャパンの未来。
2017年に代表取締役社長に就任してから、大小さまざまな事業展開を進めてまいりました。そのなかでも、弊社にとって象徴的な転換点となったのは、主力事業のERPビジネス、CRMビジネスに加えて、新たにCBPビジネスを立ち上げたことだと思っております。弊社は1994年の創業より、ERPビジネスを中心に事業を拡大してきました。私が社長に就任したタイミングで、会社の競争力とお客様に提供できる付加価値を高めるために、新たな事業の柱を作るべきだと判断したのです。そこで、米シリコンバレーに本社を持つクラウドインテグレーターのLirik社(2018年)、グループ傘下で協業してきた株式会社アック(2020年)のM&Aを行い、CRMビジネスをスタートしました。それまで弊社の顧客のほとんどは日本企業でしたが、Lirik社の子会社化により北米やインドにもネットワークが拡大し、事業のグローバル展開を推進できる体制が整いました。現在、国内はもとより、海外子会社の成長が著しく、グループ全体の業績を押し上げています。そして、もう一つの事業軸としてスタートさせたCBPビジネスは今、積極的な投資による増強やマーケティングの強化を行っております。弊社の強みである基幹システムERP、CRMビジネスの領域に、企業間のシステムCBP注文決済サービスを組み合わせることで、今後もお客様のビジネス革新、さらには業界のバリューチェーン全体の最適化を実現し、DX社会の推進に貢献していきたいと考えております。
◆ 編集後記 ◆
今回の取材では、日本橋にあるテクノスジャパンのオフィスの一つ、「イノベーションセンター」を訪問した。場所は東京メトロ「日本橋駅」から直結の太陽生命日本橋ビル。13階の非常に見晴らしの良い快適な環境だ。こちらのオフィスは、同社がDX分野におけるイノベーションのさらなる促進を図るとともに、テレワークなどの多様な働き方の実現を促進するワークプレイスとして、2019年に開設されたそうだ。
さて、当メディア『ToBeマガジン』は、成長企業のビジネスについてはもちろん、企業経営者ご自身の生き方や哲学にフォーカスし、その本質に迫るインタビューを特長としている。取材を通して吉岡氏にはさまざまな質問をさせていただいたが、ご自身のことは積極的に語られない一方で、事業の話になると途端にお話に熱が入る様子が印象的だった。吉岡氏が新卒で入社した当時のテクノスジャパンは創業5年目、まだ50名規模の小さな組織だった。聞けば、入社当初から「将来的には経営の中核に入り、会社という器を使って自分のやりたいことを体現したい」という静かなる野心を持っていたそうだ。いわゆるスタートアップに近いフェーズの会社にあえて入社し、若いうちからさまざまな企画を立てたり、教育プログラムを開発したりと、ご自身の成長と会社の成長を共にしてきた経緯を思えば、ご自身の生き方や哲学そのものがビジネスと不離一体となっていることも理解できる。そして何より、吉岡氏ご自身が「IT×経営」の領域で企業の業務改善や変革に携われる仕事が好きだという想いが、取材を通じて伝わってきた。単にサービスを提供するだけでなく、テクノスジャパンのビジネスコアであるERP・CRM・CBPを組み合わせた領域において、相互に付加価値を高められるテクノロジーや企業と手を組み、ビジネスの潜在価値を大きく発展させていく未来…。我々にとっては未知のビジョンが、吉岡氏には明確に見えているようだ。今後の同社の発展が非常に楽しみである。
取材:四分一 武 / 文:アラミホ
メールマガジン配信日: 2023年2月7日