「全ての人・企業の可能性開花に貢献する。」を企業理念に掲げ、「PR代行」「PR塾」の2軸で事業展開を行う株式会社LITA(本社:東京都文京区)。今春にはオフィスフロアを増床し、新卒社員13名を迎えるなど、事業・組織ともに急成長中の注目企業である。創業者の笹木郁乃氏は、独立前の会社員時代に、当時まだ無名の商品だった高機能マットレス「エアウィーヴ」、鋳物ホーロー鍋「バーミキュラ」を、一躍有名ブランドにしたPRプロフェッショナルとして知られている。2017年に独立後、PR業界においてひときわ輝きを放ち続ける彼女だが、その本質は幼少期から常に「人生を懸けるに値するもの」を追い求め、数々の葛藤を経てようやく辿り着いた使命に宿る光だった。本稿では、彼女の人生エピソードに焦点を当て、そのユニークな人柄や事業に対する情熱の根源を紐解いていきたい。

PRの力を、すべての人の当たり前に。―― LITAの使命と存在意義。

株式会社LITA CEO / PRプロデューサー 笹木 郁乃さんと役員の皆さんPRには、人や企業の可能性を開花させる力があると思っています。逆に言えば、どんなに素晴らしい商品やサービスも、知られなければ存在しないに等しい。そこにPRの魔法をかけて、真に価値ある企業やサービスが世に出る(無名から有名になる)キッカケを仕掛けていく―― それが、私たちが提供するPR代行の役割です。

PRの本質は、企業や商品、サービスが、世の中に必要とされるブランドになるために、社会との信頼関係を育んでいく地道な活動にあると思っています。だからこそ弊社のPR代行は、一般的なPR会社がするようなプレスリリースの一斉配信は行っていません。単にメディア露出が増えただけでは、実質的な価値を提供したことにはならない。一方的に情報をばら撒くのではなく、商品やサービスの開発背景、そこにかける想い、企業理念や創業者の哲学など、こちらが伝えたいストーリーがきちんと「伝わる」形で人々に届いてこそ、クライアントの売上や採用、ブランド価値の向上という本質的なゴールが達成できると思っています。私たちが作るのは、プレスリリースではなく企画書。クライアントの事業や理念を深く理解し、その魅力をとことん掘り下げることで、メディアが取り上げたくなるような切り口を丁寧に作り込みます。それを情報配信プラットフォームに流すのではなく、メディアに直接アプローチし、ときには足を運んでその情熱を伝え切るのです。結果的に弊社では、毎月2本以上のメディア掲載を、ほぼすべてのクライアントにおいて実現しています。一般的なPR会社なら、年間2~3本のメディア掲載が実現できれば上出来と言われるような水準なので差は歴然です。メディア露出数や広告換算費をゴールとせず、クライアントを勝たせることに本気でコミットしているからこそ、その成果には圧倒的な差が生まれると自負しています。

株式会社LITA PR塾また、弊社では「PR塾」の運営も行っています。こちらは私が会社員時代に、売上1億円だった企業をPRの力で115億円まで成長に貢献した、具体的なPRのノウハウを教えるスクールです。同塾の講師陣やチューターには、私の他にもPRのプロフェッショナルが揃っており、これまでに1,800名以上の卒業生を輩出してきました。受講生には経営者や企業の広報担当者の他、新たにPRプランナーを志すフリーランスの女性も多くいらっしゃいます。講義ではPRの実践的なノウハウを惜しみなく提供しているので、弊社の競合が増えるのではと心配されることもあるくらい(笑)。でも、それこそが私たちの狙いでもあるのです。PRの力を、すべての人の当たり前に――「日本をPR大国にすること」が、LITAの使命であり存在意義であると考えています。同塾を通じてPRを心得た人材が社会に増えれば、より多くの企業がPRの魔法を活用できるようになる。そして、真に価値ある商品やサービスが世の中に波及していくわけです。PRには、企業を成長させるだけでなく、社会そのものを元気にしていくパワーがある。そう確信している私にとって、「PR塾」は自社の利益追求という小さな枠組みを超えた、真に目指したい未来のための一大プロジェクトなのです。

「何者かになりたかった」―― 幼少期の原点

株式会社LITA CEO / PRプロデューサー 笹木 郁乃さん生まれは宮城県仙台市。会社員の父、専業主婦の母のもと、4人姉弟の次女として育ちました。小学生時代に経験した大きな出来事は主に2つ。1つは2年生のときに交通事故に遭い、生きるか死ぬかの開頭手術を経験しています。脳に関わる大手術だったので、医師からは「20歳を迎えるまでに後遺症が出るかもしれない」と告げられました。いつか自分は植物人間になってしまうのかも…そんな恐怖を胸に刻んだ私は、「いつ死んだとしても後悔しない人生を歩みたい」と常に意識するようになりました。また、このとき命を救ってくれた医師や看護師のように、人のために役立つ職業に就きたい…漠然とではありますが、「何者かになりたい!」と熱望するようになったのです。もう1つの出来事は、父が突然うつ病を患い、仕事ができなくなったこと。当時はまさに、私たち4人の子育て真っ最中…。母は専業主婦ですから収入はありません。しかし、生来の楽観的な性格の母は特に悲観する様子もなく、畑で野菜を育てたり裁縫をしたりしながら、変わらず明るい家庭を築いてくれました。家に帰ればいつでも両親がいる…貧しい家庭ではありましたが、そんな安心感のなかで過ごせていましたね。

株式会社LITA CEO / PRプロデューサー 笹木 郁乃さん一方でエネルギーを持て余していた私は、日々の生活にもどかしさを感じていました。周囲の友達は家族旅行に出かけたり新たな習い事を始めたり、なんだかいつも忙しそう。しかし、うちにはお金がありませんから、ゲームを買ってもらえるわけでもありません。お金の要らない遊びと言えば、弟と外で虫を捕まえたり鬼ごっこをしたり。それもすぐに飽きてしまい、暇を持て余していたのです。このまま何もしないで生きていくの?…先の交通事故を機に生き急いでいた私は、小学生ながらに焦燥感を抱えていました。やる気はあるのに打ち込むべき対象が見つからない状況に鬱屈としていたんですね。そんな私とは対照的に、母は日常の些細な出来事をひたすら愛する人でした。「今日もドラマの途中で寝ちゃったから、次こそは結末まで観るのが人生の目標!」…そんな感じの平和な人なのです(笑)。突破口を見つけたのは小学3年生のとき。学校の先生が、自主学習ノートを提出することを勧めてくれたのです。いつか何者かになりたいと願うのなら、主体的に学ぶ姿勢が大切。出された宿題だけをやるのではなく、自ら学びたい対象を見つけて目標を立て、継続することが将来の助けになると…。その日から卒業を迎えるまで1日も欠かさずノートを提出したのは、クラスで私1人だけでした。これを続ければ何者かになれる…!当時の私にとっての自主学習ノートは、何者でもない自分が人生を切り拓いていくための唯一の希望だったのです。

「中高時代は部活に熱狂」―― 命を燃やす対象を求めて。

中学校入学に際して、私には非常に楽しみにしていたものがありました。そう、部活動です。「この学校で最も忙しくて、いちばん強い部活は何部ですか?」…入学早々、私は先生に尋ねました。返ってきた答えは吹奏楽部。その一点だけで入部を決めたのです。別に音楽が好きだったわけでも、楽器に興味があったわけでもありません(むしろ音痴だし向いていませんでした)。私はただ、命を燃やせる対象を渇望していたんですね。さて、張り切って入部したものの、評判だった顧問の先生が早々に異動してしまい、結果は市の大会の上位どまり(もちろん部長を務めていました)。どうせやるなら次こそは日本一を目指したい!不完全燃焼のまま中学時代を終えた私は無念を晴らすため、吹奏楽部の強豪校へ進学しました。経済的な理由から、入学したのは公立高校。今度こそ絶対に全国大会で優勝する!…そう決意した私は勉強さえも捨て、それこそ命を懸けて部活に没頭しました。ちなみに中学時代はアルトサックスというわりと花形の楽器を担っていたのですが、強豪校への進学となると、やはり親から楽器を買ってもらえる子が優先的にポジションを獲得していきます。マイ楽器を持たない私は次々に他の楽器へ押しやられ、最終的にはバリトンサックスを担当するという悔しい想いも味わいました。とはいえ、目指すはあくまで全国大会優勝!私は演出のリーダーに立候補し、朝昼晩はもちろん、正月さえも休みなく練習に明け暮れました。当時の自分を振り返ると、かなりスパルタだったと思います。サボる人の気持ちなんて、理解できないし許せない。人間じゃないとさえ思っていました。しかし…高校生活のすべてを捧げたにもかかわらず、結果は東北大会の金賞どまり。全国大会には行けなかったのです。当時はあまりの悔しさに、一週間ほど泣き続けたのですが、周囲の子たちはわりとケロっとしていましたね。それくらい、私は日本一になることを信じて疑わなかったし、命を懸けてコミットしていたのです。

「PRで日本一を目指す」―― 人生を懸けるべき使命を見つけて

株式会社LITA CEO / PRプロデューサー 笹木 郁乃さん誰かの人生を変えてしまうような、人に役立つ仕事がしたい!命を懸けるに値するほど熱狂できるものに出逢いたい!──。これまで数々の紆余曲折を経て、幼い頃から追い求めてきた願いを、私はPRという分野でようやく掴み取ることができました。

今年2月、弊社は新たに「LITAビジネスアカデミー」という4ヵ月間の特別プログラムを開講しました。昨年末に行った限定募集のもと、さまざまな入会審査をクリアした62名の経営者、これから起業を考える方が、日本全国・海外から、高い熱量で一堂に会しました。東京でのリアル開催となる同プログラムは、これまで私たちが8年間続けてきた「PR塾」の受講生の声から生まれたもの。「PRだけでなく、ビジネス・経営全般も学びたい」「SNS起業という一過性のビジネスを脱却し、社会に影響を与えるような経営者になりたい」「さらなる成長のためのサポートが欲しい」…このようなご要望にお応えするために、完全オリジナルのスライド&テキストを制作し、満を持して立ち上がった特別講座です。記念すべき第1回目の講義テーマは、「フリーランスと経営者マインドの違い」「組織を作るということ。ミッション・ビジョン」について。これは、かつてフリーランスとして活動していた私が初めて組織を作ったときに味わった挫折や葛藤、そして多くの方々のサポートのおかげで試練を乗り越えてきた経験から生まれた、受講生の方々にぜひともお伝えしたい重要なメッセージでもありました。

「人生最大の挫折を乗り越えて」―― 日本一への決意、再び

株式会社LITA LITAアカデミー私が会社組織を作ろうと考えたのは、「もっと大きな景色が見たい」という純粋な動機からでした。フリーランスのPRコンサルタントを始めた当初は、わりと順調に売上もあがり、達成感が得られていたんです。ところが、年商1億円に達したあたりで天井が見えてしまったんですね。子育てと両立しながら一人で活動するには、これ以上の顧客を抱えることはできない。そうなった瞬間から、私にとって挑戦で埋め尽くされていたはずの毎日が、ある種のルーティーンに変わってしまったような気がしました。現状のままでも、やり甲斐はあるしお客様の役には立っている。それでも私は、まだ見ぬ大きな景色を見てみたい!もっと多くの企業や人の運命を変えるようなインパクトのある仕事がしたい…!そんな想いを抱えて悶々としていた頃、「組織を作って日本一のPR会社を目指す」という選択肢があることに気づいたのです。まるで光が差したかのように、自分のなかにワクワクした感覚が蘇ったことを覚えています。

2019年、それまで「ikunoPR」として活動してきた会社名を「LITA」に変更。初めて社員の採用を開始し、組織化を目指しました。しかし…私はその過程で、人生最大の挫折や苦悩を味わうことになったのです。当時は組織のマネジメントにおいて、自分の頭で考え得る限りの最善を尽くしていました。ところが…何をやっても全然うまくいかない。せっかく入社してくれたメンバーが去っていくたびに反省し、その後は社員との関わり方を自分なりに工夫するのですが、結局は人が離れていくのです。人生で初めて、自分も他人も信じられなくなった苦しい期間でした。今となってはその原因が、他でもない自分自身にあったことを理解しています。そう…当時の私は「フリーランスと経営者の違い」「組織を作ること」の本当の意味を心得ないまま迷走していたのです。しかし、このときの挫折や苦悩があったからこそ、謙虚になって人や本から学ぶことができたし、素晴らしいメンターの方々とのご縁を深めることができました。そのうちの1人が、株式会社レバレッジの創業者、只石昌幸氏。2019年に新たにプロテインブランド「VALX」を立ち上げ、たった4年で年商74億円を実現させた敏腕経営者です。「なぜ日本一になることを信じ切れないのか」「PRという素晴らしいサービスの価値に自信を持て!」…只石社長の言葉に強く背中を押されて、私は再び立ち上がることができたのです。

「日本一、社会課題を解決するPR企業へ」―― 仲間と共に目指すビジョン

株式会社LITA CEO / PRプロデューサー 笹木 郁乃さん「日本一のPR会社になる!」…どんなに挫折を味わっても組織がボロボロの状態でも、そのゴールだけは自分のなかで変わらず輝き続けていました。自信は失いかけていましたが、諦めることはなかったのです。どんな状況においても決して目標は下げない。それこそが、私の一番の才能かもしれません。だって別に事業をスケールさせなくたって、幸せな経営スタイルは他にいくらでもありますから。それでもやはり、目指すは日本一。従業員数・売上規模ともに業界No.1の存在になりたい。その過程には、もちろん上場も視野に入れています。描いているのは、売上や採用、ブランド価値の向上など、クライアントを勝たせるための本質的なPRサービスを私たちが大規模に手がけることで、日本中に感謝と感動が巡っている世界です。数年にわたる迷走期間を経て、役員や社員や顧問、多くのメンターの方々に支えていただき、私はようやくフリーランスから経営者へのマインドチェンジを果たすことができました。そのとき再び、「日本一」という目標を堂々と掲げることができるようになり、ビジョンに共鳴した熱い仲間が集まってくるようになりました。これからは、仲間がいるからこそ目指せるゴールに向かって、社員やお客様と幸せを分かち合いながら成長していきたいと思います。今後のLITAの躍進に、ぜひご期待ください。

 

◆ 編集後記 ◆

さすがは「日本一」を志すPR企業。株式会社LITAでは、自社のPRも非常に戦略的に行われている印象を受けた。SNSをはじめ各種メディアへの情報発信も盛んに行われており、LITAのWEBサイトを覗けば、必要な情報がほとんど網羅されていた。実際に私自身、創業者の笹木郁乃さんのご活躍や過去のキャリアについてはSNSを通じて知るようになり、取材前から彼女のメルマガにも登録していたのだ。

さて、実際にご本人に対面したときも、メディアに掲載されている彼女に関する記事を読んだときも、一つの共通する印象があった。それは、ご本人の等身大の姿や想いを、包み隠さず発信されていることだ。たとえば、アイシンの研究開発職という安定のキャリアを捨て、初めて転職活動をされたときのこと。なんと40社以上もエントリーしたのに、すべて落とされてしまったそうだ。また、仕事に没頭しすぎて夫婦関係にすれ違いが生じ、深刻な離婚の危機を経験したこと(現在は円満だそうです)、経営者としての未熟さから9割の社員が辞めてしまった経験、そのときの黒い感情など、過去の記事を拝見すると、かなり赤裸々に綴られている。「魅せたい姿」だけでなく、完璧ではない部分も曝け出すことで彼女のリアルな人柄が垣間見え、一気に親近感を覚えた。

さて、そんな笹木氏が率いるLITAのPRサービスは、一般的なPR会社とは一線を画すものだ(そもそもPR会社という枠で括るべきではないかもしれない)。今回、同社がメディアにアプローチを行う際に使用するクライアント企業の企画書を拝見した。顧客の魅力を盛り込んだ約10ページにのぼる資料には、まるで紙面から熱が立ち込めてくるようなエネルギーを感じた。この企画書も、数ヵ月毎にリニューアルするというのだから手間がかかっている。PR業界に限らず、あらゆる業界において、企業や人が作業的になり、効率やテクニックに走りがちな昨今である。そのなかで、LITAはストイックに本質を追求し続ける特異な存在だ。2025年の同社のテーマは「大拡大」。どれだけ規模が拡大してもクオリティはまったく落とさず、結果にこだわる姿勢を貫くという。「命を燃やす対象」を、幼い頃から追い求めてきた笹木氏。それを見つけてしまった人は強い。そもそも命を「懸ける」とか「燃やす」とか、そんな熱いワードが頻出する取材に立ち会える機会はめったにない。美人で華やかな見た目とは裏腹に、―― あくまで泥臭く「日本一」にコミットし続ける。彼女なら、きっと本当にやり遂げてしまうのだろう。

取材:四分一 武 / 文:アラミホ

メールマガジン配信日: 2025年4月7日