〝The World Is Our Playground!(世界は僕らの遊び場だ。)〟を企業ビジョンに掲げ、2014年に誕生したIoTスタートアップ、株式会社BONX。スノーボードをこよなく愛するCEOの宮坂氏のアイデアから生まれたヒアラブルデバイス『BONX Grip』は、全日本空輸(ANA)のエアバスA380型機『FLYING HONU』内にて客室乗務員同士のコミュニケーションツールとして採用されるなど、私たちの遊び方はもちろん、働き方までアップデートする新たな市場を切り拓いた。今回は、彼の幼少期から留学経験、創業ストーリー、経営哲学にわたるまで、日本発・世界に挑む起業家の欲張りなインタビューが実現した。

人々の遊び方、働き方に革新を起こす! 新感覚のコミュニケーションテクノロジー『BONX』。

弊社はヒアラブルデバイス『BONX Grip』をはじめとしたハードウェアと、スマホアプリ・ウェブコンソール・サーバーシステムから成るソフトウェアを組み合わせた音声コミュニケーションプラットフォーム『BONX』を提供しています。独自のBluetoothイヤフォンとスマホアプリを組み合わせることで、最大10人までのグループ通話が可能。『BONX for BUSINESS』なら、最大30人まで同時に話すことができます。通話距離は無制限。たとえ地球の裏側にいる相手とも、まるで隣に居るかのようなクリアな音質で、ハンズフリーの会話が楽しめるのです。

2015年に初めてリリースした『BONX Grip』は、「雪山で滑りながら話したい」という一人のスノーボーダーとしての私の夢から生まれたプロダクト。おかげさまで多くの反響をいただき、当時の日本のIoT製品のクラウドファンディングにおいて、史上最高の支援総額を達成しました。時を経てBONXは今、スノーボードやランニング、サイクリングやフィッシング等のアウトドアスポーツに限らず、たとえば緊迫した手術室の現場、遥か上空の飛行機内、企業のリモート会議など、あらゆるビジネスシーンで活用されるコミュニケーションツールへと発展を遂げました。これもひとえに、『BONX Grip』をリリースした当時から、スノーボードを原点とするブランドストーリーに共感し、応援し続けてくれた皆様のおかげです。満を持して今年、さらなる小型化・軽量化・低価格化を実現させた新モデル『BONX mini』を、クラウドファンディングを通じて世に出すことができました。現在、4000名に上る方々からご支援いただいています(2020年3月19日現在)。僕らが大切にするマインドは、最先端のグループトークテクノロジーを通じて、家族、友人、同僚、仲間を繋ぎ、声の力で現場にワクワクを届けることです。もっと自由でクリエイティブに、ワクワクできる世界を、『BONX』を通じて皆様と分かち合える日を描いて、今日もチャレンジを続けています。

明るく活発だった幼少期と、人生初の大病の経験。

生まれは神奈川県川崎市です。市役所勤務の公務員の親もとで、なに不自由なく育ててもらいました。幼い頃から、1歳上の姉を笑わせるのが私の役割。明るく活発な性格で、目を離すとすぐ居なくなるような落ち着きのない子どもだったようです。小学生時代は、クラスの中心的な存在。というのも、やんちゃで運動も得意なグループ、おとなしくて目立たないグループ、両者とも話せる私を介して、クラスがまとまっていたような感じでした。習い事は、ピアノや習字、サッカーなど。ドラムも少しやりましたが、小学4年生からは塾中心の生活に変わりました。子ども時代の印象深いエピソードは、重度の喘息を患ったこと。家の建て替え期間に過ごした古いアパートのホコリ・ダニが原因で、登校できないほどの発作に襲われたのです。大きな病気はこのとき限りですが、この経験を機に健康意識が高まりましたね(笑)。

将来の夢はパイロット。バスケ三昧の日々で東大合格?!

株式会社BONX 代表取締役CEO 宮坂 貴大さん中学受験をして、中高一貫の聖光学院へ。一応テニス部に入りましたが、サークルのようなユルい環境で、わりと早々に部活へのパッションは消えていました。当時は〝ゆず〟の全盛期。文化祭でギターを弾くと、女の子が喜んでくれるのが嬉しかったですね。何よりハマったのはバスケ。特に部活に所属するわけでもなく、「バスケ部を倒す!」と豪語して、仲間と勝手に励んでいました(笑)。

勉強面は、中高一貫校のありがちなパターンですが、中3から高1くらいまでは中だるみ状態。成績は決して良いほうではありませんでしたが、親から「勉強しなさい」と言われたことは一度もなかったですね。当時の将来の夢はパイロットになること。空を飛ぶことへの憧れ(『スターウォーズ』が大好き!)、初めて飛行機に乗ったときの高揚感、自由でカッコイイ職業…そんな漠然としたイメージから、目指すようになったのだと思います。

東大への進学率の高さが売りの学校だったため、いつしか私も東大を目指すようになりました。パイロットになるつもりでいたので目先の専攻にこだわりはなく、将来的には航空大学へ進む気でいました。ようやく受験勉強に本腰を入れたのは高校3年生になってから。夏休み前の全国模試では東大合格率C判定でしたが、秋を迎える頃にはA判定に。そこから毎回上位に名前が載るようになりました。結果的には文科三類に合格。周囲からは、「バスケしかしてなかったのに、よく東大に行けたな!」と突っ込まれましたが、むしろバスケがあったからこそ、勉強に集中できたのです。当時は昼休みも勉強する生徒が多いなか、私は早弁して体育館でバスケ、もちろん放課後もバスケ、ときには自習時間も教室を抜け出してバスケ…(笑)。定期試験期間中はコートが空くので、今こそチャンスとばかりに体育館へ走ったほどです。そうは言ってもバスケに費やしたのは、たかだか1日1時間ほど。勉強時間を削るほどの影響はありません。むしろ好きなことに没頭する時間を持てたことが良い気晴らしになり、身心ともに健康が保てたのだと思います。当時の私にとって、勉強以外の頭の使いみちといえば、ほとんどバスケのイメトレだけ。たとえば勉強に集中できないとか、恋しちゃったとか…、その類の悩みは皆無でした。1日8時間、たっぷり眠っていましたし。ただ、時間の使い方は工夫しました。たとえば入浴時間を暗記に充てるなど、バスケと睡眠の時間を確保するため、効率性は追求していましたね。周囲から強制されることもなく、継続的な努力ができたタイプでした。

人生観がガラリと変わった、スノーボードと海外での出逢い

株式会社BONX 代表取締役CEO 宮坂 貴大さん大学3年生の夏、一人旅で訪れたニュージーランドでの出逢いが、人生を変える転機となりました。ニュージーランドへ行った理由は、南半球にある国なので、夏休みの間に大好きなスノーボードが楽しめるから! 現地を訪れると、想像以上に日本人だらけ。小さな町に100人以上も日本人がいたのです。海外でのアドベンチャーを期待していた私としては、結構がっかりでした(笑)。

しかし、そこでの出逢いが、私の人生観を大きく変えることになります。現地で出逢った人たちは、私が持っていた常識とは、大きく異なる価値観のなかで生きていました。高学歴とか高収入とか、そんな〝ものさし〟ではなく、自分独自の軸やスタイルを持っていました。「将来の仕事のために」というようなキャリア的思考ではなく、もっと自由でクリエイティブに人生を楽しんでいたのです。彼らと話すと、いかに自分が狭い価値観のなかで生きていたのかを実感し、世界が大きく拡がっていく感覚がありました。しかも、雪山に人生を懸けている人たちですから、滑る姿もカッコイイ! 彼らに大いに影響を受け、ますますスノーボードに夢中になっていきました。

大学4年生のとき、交換留学で再びニュージーランドへ。オタゴ大学の観光学部で1年間、国籍も宗教も異なる学生と寮生活を共にしたり、キャンプトリップで島を巡ったり。素晴らしい仲間との思い出は、今でも大切な宝物です。相変わらずのスノーボード狂で、夏学期中に授業を詰め込み、冬になると3ヵ月間ほど山籠もり。当時はメーカー等のスポンサーが付く「ライダー」レベルを目指していたのです。一方で、留学中は大学受験以上に勉強もしました。ちなみに卒業論文のテーマは、「日本人のスノーボードコミュニティについて」。これが意外な評価を受け、国際的なツーリズム学会にて英語で発表するという、貴重な経験もさせていただきました。

人生で初めて経験した、先の見えない苦悩の日々。

株式会社BONX 代表取締役CEO 宮坂 貴大さん帰国後は、スノーボードを続けたいという想いだけは明確でしたが、将来やりたいことまでは見つからない状態。その頃には、パイロットになるという選択肢は、自分のなかで消えていたのです。ひとまず大学を休学し、冬は日本の山に籠り、夏は南半球へ移動するというスノーボード中心の生活を続けました。ある夏には、法律事務所のバイトで貯めたお金で独り南米へ。パタゴニアでスノーボードを1ヵ月間、バックパッカーの旅を1ヵ月間、マチュピチュやイグアスの滝を観光しました。傍から見たら、さぞ自由気ままに映ったことでしょう。しかし当の本人は、この頃から深刻に悩み始めていたのです。旅先では、楽しい出逢いに恵まれたし、多くの美しい景色に触れる経験もしました。一方で、〝観光客〟の自分はあくまで〝よそ者〟。どこにも根差す場所がない浮いた存在です。大好きなスノーボードに没頭できる幸福な瞬間の狭間にさえ、ふと襲ってくる不安や虚しさがありました。自分はどこへ向かっているのだろう…? 先に社会人になった同級生の活躍に焦りを感じつつも、「人生で何を成したいのか」という問いには、具体的な答えが出ないまま。あの頃は、多摩川を夜な夜な徘徊したり、ときには思わず叫んでみたり…(笑)。未来に道すじを見出せないまま時間だけが過ぎ、精神的に追い詰められていたのです。

やりたいことを模索する過程のなかで取り組んだことの一つに、〝農業〟がありました。きっかけは、ニュージーランドで「エコロジー」に関心を持ったこと、幼少期に患った喘息により「健康」への意識が高まったこと。それらはすべて、行きつくところは「土(農業)」だと考えたのです。そこで、1学期間の復学を決め、農学部の授業を20コマほど受講したり、子どもたちへの環境教育を支援するNPOに参加したりしました。それでも「これだ!」というものには出逢えぬまま、再び休学してスノーボード生活へ。結果的には猶予期間を先に延ばし、大学院へ進むことにしたのです。

想定外に始まった、家庭と学生の両立生活。そして、3児の父へ。

さて、進学先の研究室も無事に決まり、再び冬山生活に入った矢先のこと。なんと、彼女の妊娠が発覚したのです。スノーボード三昧の生活に、突然の終止符が打たれた瞬間でした。正直、これまでの自由な生活を失うことには抵抗がありましたが、生まれた子どもの可愛い顔を見た瞬間、そんな感情は一気に吹き飛びました。それからは、家庭教師のバイトを掛け持ちしながら大学院に通い、空いた時間は子どもと過ごす日々。農業への関心は続いており、農家の手伝いや自分の畑を耕すことに熱中していました。この頃には、好きな分野の研究に没頭できることから、学者になるのも悪くないと感じ始めていました。しかし、「代替農法」に出逢ったことで考えが変わりました。「世の中に大きなインパクトを与えるような仕事がしたい」…。そんな想いが自分の根底にあったことに気づいたのです。新たな農法を世界に広めたいと考えた場合、アカデミアの世界には限界がある。やはり資本主義社会においては、ビジネスこそが最強の手段。それなら、まずはビジネスについて学ぼうと、「圧倒的な成長ができる環境」として評価の高い、外資系コンサルティングファームに就職することにしたのです。

『GoPro』の創業ストーリーに着想を得て起業。

株式会社BONX 代表取締役CEO 宮坂 貴大さんボストンコンサルティンググループで過ごした約3年半は、クライアントや同僚との素晴らしいご縁に恵まれ、非常に充実した日々でした。ちなみに当初描いていた農業ビジネスの実現はハードルが高いことを早々に知り、他の事業アイデアも含めて、どれも起業まで踏み切れずに過ごしていました。

いつしか家族も増えて昇進も叶い、落ち着き始めていた或る日のこと。ネットサーフィン中に『GoPro』の創業者、ニック・ウッドマンのストーリーに遭遇しました。「アクションカメラ」という一大マーケットを新たに創り出し、今や世界中にファンを抱えるブランドを築き上げた『GoPro』ですが、すべての始まりは、サーファーである創業者の、「波に乗る自分の姿をもっと手軽に撮影したい」「サーフボード上から見える景色を共有したい」という個人的なパッションだったのです。あまりにピュアな原点から、世界的なイノベーションが生まれたという奇跡! これには震えましたね。『GoPro』創業ストーリーに大いにインスパイアされた私は、スノーボーダーの自分にだって、何か新しいアイデアが生み出せるはずだと興奮しました。せっかくなら、週末に予定している白馬の地で、滑りながらアイデアを練ろうと考えたのです。

その週末、仲間とスノーボードに出かけた先で奇跡は起こりました。なんと偶然にも、白馬でGoPro米国本社の社員に出逢い、一緒に滑る経験をしたのです! これは絶対に自分へのメッセージ、〝神の啓示〟に違いないと直感しました。

『BONX』のアイデアが降りてきたのは、自宅に戻ってシャワーを浴びていたとき。白馬を滑走中にサイドカントリーで仲間を見失い、大きなストレスを感じた出来事を思い出したのです。起伏の激しいサイドカントリーは、仲間の姿を見失いやすい環境。雪深いので歩き回ることもできなければ、雪に吸収されてしまうため、声も届きにくいのです。立木にぶつかったり、沢に落ちて命を落したりする危険さえある…。心配になった私はグローブを外し、内ポケットからiPhoneを出して彼に電話をしました。しかし、いくら呼び出しても反応がないのです。何度かけても出ないので、ひとまず下山することに…。すると、本人は人の気も知らずに、先に下山して呑気にお茶を飲んでいたのです(笑)。

しかし、この一連の出来事が、私に閃きをもたらしました。あの瞬間、電波は確かに繋がっていたし、スマホは問題なく使えていた…。とはいえ、かじかむ指先でスマホを操作するのは難儀だったし、相手も着信に気づかなかった。それなら、スマホと連携したワイヤレスイヤフォンのようなもので、ハンズフリーで会話しながら滑れるようなものがあれば、すべて解決ではないかと。これこそが、『BONX』のアイデアの原型でした。

IoTスタートアップならではの苦悩の日々。

株式会社BONX 代表取締役CEO 宮坂 貴大さん電波も悪く、激しい動きにも耐え得る雪山仕様の製品開発に成功すれば、あらゆる用途に応用できるはず! しかも、今や一人一台スマホを持って、どこでもインターネットが繋がる時代。それなのに、世間の業務現場では、いまだに〝トランシーバー〟が使われていたのです。このアイデアには、莫大なマーケットを席巻できる勝算がある…。そう確信した私は、ついに起業に向かって走り出しました。

会社を辞めて起業することに、妻は1ミリも反対することなく応援してくれました。しかも、当時は貯金ゼロの状態。身内から少しずつ借金をして、半年分ほどの生活費を確保してのスタートでした。会社には、進行中のプロジェクトを完遂することを条件に、退職を承認いただきました。

2014年に起業してから、チームづくりにプロダクト開発、資金調達と、次々に無理難題が押し寄せてきたので、もはや何から話したら良いのか…(笑)。ハードウェアスタートアップは前提としてハードルが高いなか、モノづくりの経験など一切ない私が始めたのですから、苦労するのは当然のこと。素人ながらに試行錯誤を重ねて、ロボット・IoT分野など専門知識を持つ方々にアイデアをぶつけては、協力者を募ってきました。粘土で型をつくって膜を張り、扇風機を当ててiPhoneに録音するなど、自ら風切り音の研究を繰り返しては、プロに相談して検証を重ねる日々。『BONX』はアプリとの連携を必須とするプロダクトのため、イヤフォンとアプリの両方を並行して作り込む必要があります。トラブルが生じれば、ハードとアプリの双方をしらみ潰しに調べる必要があり、開発はとにかく難航しました。とんでもない分野に足を踏み入れてしまったと、何度となく思い知らされたものです(笑)。開発はもちろん、ゼロからブランドを築き上げ、前例のない市場自体を創り上げていくこと、グローバル展開を前提に開発したプロダクトでしたが、量産や流通の過程でも課題が山積みでした。今の『BONX』があるのは、間違いなく超優秀な仲間が集まってくれたからこそ。「それでもこんなに苦労するのだから、よほど難しい事業なんですね」と、周囲から言われたりするのです(笑)。一方で、ここまで諦めずに続けられたのには、二つの要因があると思っています。一つは、尊敬するスノーボーダーの先輩方が、「そのアイデアは絶対イケてるからやれ!」と、太鼓判を押してくれたこと。もう一つは、自分でプロトタイプ的なものを創作して雪山で試したときに、「この体験はヤバイ!」と直感したことでした。一緒に滑る仲間が、あたかも隣にいるかのように感じられる新鮮な体感。言葉で説明するのは難しいのですが、雪山における〝最高の瞬間を逃さない〟ことへの歓喜には、生涯忘れることのないほどの興奮を覚えたのです。

宮坂社長が描く、BONXの未来。

株式会社BONX 代表取締役CEO 宮坂 貴大さんスノーボードを原点に生まれたプロダクトが、『BONX for BUSINESS』として、いよいよ多様な業務シーンで活用される機会が増えてきました。昨今では、コロナウィルスの感染を懸念して、リモートワーク体制の整備を急ぐ企業様からの関心も高まっています。2019年にリリースした『BONX.io』は、企業様ごとの利用シーンやご要望に合わせて音声データを活用することが可能になり、現場の業務効率化にも貢献しています。発話者ごとに音声パケットをID分類できるため、たとえば業務日報を従業員様各自の音声で作成することも可能です。

音声認識やAIの進歩、スマートスピーカーの普及をはじめとして、音声コミュニケーション領域は、まさに今後の成長マーケットです。『BONX』のビジネスは、単なるインカムトランシーバーのリプレイスではありません。私たちは事業を通じて、人々のライフスタイルに大きなインパクトを与えるようなイノベーションを起こしたい。我々のミッションは、〝仕事も遊びも、人生を本気で楽しむ人にふさわしいコミュニケーションと会社のあり方を追求する〟ことだと定義しています。『BONX』は、スノーボードにルーツを持ち、遊びのカルチャーが息づいた唯一無二のプロダクト。IoV(Internet of Voice)という最先端の領域で、未来のコミュニケーションの在り方を私たちが体現し、世界に発信していきます。『GoPro』や『Apple』、『Tesla』が新たな市場を創出し、圧倒的なブランドを築いたように、日本発の音声コミュニケーションプラットフォーマーとして、かつての『Sony』や『Honda』のような、世界中のファンから愛される、唯一無二のポジションを確立する日まで、まだまだ挑戦は続きます。


◆ 編集後記 ◆

最後にスノーボードをしたのは5年前。しばらくボードに触れてもいないが、今回BONX様の取材を通じてブランドストーリーに触れるうちに、なんだか猛烈に雪山に行きたくなってきた。BONXを装着して仲間とワイワイ雪山を駆け巡るイメージには、思わず心が躍る。同社の魅力はまさに、〝The World Is Our Playground!(世界は僕らの遊び場だ。)〟という強烈なメッセージを本気で発信し、体現しようという文化にあると思う。WEBサイトにはCEO・宮坂氏のブログ『BEHIND THE NOISE』のリンクがあるので、ぜひとも読んでみて欲しい。創業時からの変わらぬ熱い想い、そして彼のブレない哲学が存分に伝わってくる内容だ。

さて、株式会社BONXのオフィスは、駒沢公園のすぐ近くにある。この立地を選んだ理由は明快。それは、スケートパークが近いから。オフィス自体も、まるでロッジを思わせるような遊び心に溢れたデザインだ。ちなみに彼らは、公園のスケートパークも含めてオフィスと見なしているという。ちょっと息抜きにスケボーに出かけられる距離。つまり、業務時間のなかでも、気分転換としてスケボーや散歩に出かけても良いということだ。だだし、メンバーは業務中に好きなことをする自由を得る代わりに、誰もが認めるクオリティの仕事をするという責任も負う。そんな厳しさを持った人間でなければ、「仕事も遊びも真剣に楽しむ」という、同社が掲げる生き方は実現できないと考えているからだ。真剣に楽しむためには、それこそ全力で勝負して、人生かけて追求する姿勢が求められる。仕事はもちろん、遊びにおいてもそんなマインドの人々が増えたら、確かに世の中もっと面白くなるだろう。苦労して発掘したというオフィスの物件も、企業文化を体現しようという宮坂氏の本気度の現れである。

非常に興味深く感じたのは、スノーボードとビジネスには共通点があるという話。たとえば、多くの制約やリスクのなかで、思い通りのラインを描く自由があること。自分が実力を磨けば磨くほど、できることが増大していくこと。そして、全感覚を駆使して物事を瞬時に判断し、ほぼ無意識のなかでベストな意思決定と実行が求められること。いずれもライフワークになり得る深みがあるという。創業時から常にケガと隣合わせのリスクを負いながら、段階的に大きな波に挑んできたサーファーのようなチームBONXは、今後さらに大きな波に挑んでいくフェーズに入る。最先端の領域で、未来にどんな景色を見せてくれるのか。彼らが提案する〝最高の瞬間〟が世界の当たり前になり、共に楽しめる日が来ることが今から楽しみである。

取材:四分一 武 / 文:アラミホ

メールマガジン配信日: 2020年4月13日